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バラードの書き方
バラード曲を作るのが苦手かもしれない。
前作「HOME STUDIO」に収録されたバラード曲は「白と黒」と「ふたり」のみ。その2曲も、5月のワンマンライブ「emergence」では披露できなかった。emergenceで演奏したバラードらしいバラードは「夢幻」のみ。そもそも私の楽曲にはバラードが少ない。ライブのセトリを決める段階でしみじみと思わされた。
歌詞をゆっくり発音でき、演奏にも緊張感が張り詰めるバラードは、アップテンポの楽曲よりも感情が乗りやすい。だからライブではバラードが映える。私自身も、好きなアーティストのライブではできるだけ多くバラードが聴きたいし、バラードが多いライブの方が長く印象に残りやすい。
よし、いっちょ次のライブのためにバラードを書いてみよう。そう思って作曲に取り組めど取り組めど、これ!というバラードはできなかった。昔はもっとバラードが書けた気がするけど、いつの間に書けなくなってしまったのだろう。不甲斐なさをエレキギターに乗せて思い切り掻きむしったら、アップテンポの楽曲が1曲できた。違う、ほしいのはお前じゃない。
先日、オトナリダンギの相方である長利くんの家で、同じくオトナリダンギの編集(でもあり、うちのバンドのドラマーでもある)のヒデと3人で話していた。話題は音楽のことや、今後の仕事のこと、プライベートの悩みなど多岐に渡り、日が変わるまで話し込んだところで、翌日も仕事だからとおいとますることにした。ヒデが車で送ってくれるというので一緒に家を出ると、長利くんが「僕もコンビニ寄りたいので」と一緒についてきた。
タイミングが良いのか悪いのか、家を出た瞬間にふたたび話に花が咲き、コンビニに入り損ねた長利くんが駐車場までついてきた。そのままなんとなく三人で車に乗り、誰が言い出すでもなく私の家とは反対方向へ走り出した。ヒデは「ぼく夜のドライブ好きなんだ」と言っており、長利くんは「なんかいいですねこういうの」と興奮していた。私ももちろん満更でもなかった。
車の中の話題は昔話になった。話の流れで昔住んでいた場所を巡ろうということになり、私が大学時代を過ごした街を目がけて車は走った。
主に一人暮らしの学生が暮らす小さな街。今でも私の後輩にあたる学生がたくさん住んでいるのだろう。音楽をやっていた関係で朝よりも夜の景色を見慣れていたので、車窓から見える黒い街はとても懐かしく、たまらなく愛おしかった。すっかり感傷的になって窓の外を眺めていると、ある違和感に気がついた。
住んでいたアパートがない。
道を間違えたかな?と思ったがそれはない。太い国道が1本通っているだけの道を間違えるはずがない。何より、今左手に見えるのはうちの正面にあった小さな学習塾だ。スパルタを感じさせるいかつい名前は忘れようがない。斜め向かいにあった細い登り坂にも見覚えがある。この先のアパートには仲の良い音楽仲間が住んでいたので、酒を片手に深夜に登り、空瓶を置いて朝に下っていたあの坂だ。
しかし、うちだけがない。私の住んでいたアパートは、跡形もなく平らになっていた。
新しいマンションを建てるのだろう。横一文字にロープが貼られており、工事計画の看板が誇らしげに土地を守っていた。駐車場が無駄に広いアパートだとは思っていたけど、ここまで広大な土地を有していたことに驚いた。
ここには、かつて私が住んでいた。103号室。駐車場に面した1階の、ぼろい6畳弱のワンルーム。昭和造りのユニットバスに毎日入り、フライパンどころか片手鍋すら入らない洗面所のようなシンクで洗い物をした。布団を敷くと部屋全体を占領してしまうので、朝は畳んで部屋の隅に寄せ、それに寄りかかって食パンを一枚だけ食べた。夜は決まってギターを弾いて曲を作り、アイデアが浮かんだらポチポチとCubaseに打ち込んで、ある程度の形ができたらその都度バンドメンバーに送った。
ある日、ポストに手紙が届き、何かと思って開いてみると「へたくそな歌やめろ 104号室より」と書いてあった。破れんばかりの筆圧で殴り書きされていたそれを、くしゃくしゃに丸めて104号室のポストに投げ入れたあと、ドアを思い切り蹴り飛ばした。その日からモニタースピーカーのつまみをひとつ上げた。しばらく経った頃、大家の爺さんに呼び出され、「104号室から騒音の苦情が入っています。音楽をやめないのなら出て行ってもらいますからね。」と優しく諭すように言われたので、その日も隣人のドアを蹴り飛ばし、ここではとても書けないような暴言をドア越しに吐いたあと部屋にこもって爆音でギターを弾いた。
生活はめちゃくちゃだった。でも、めちゃくちゃでいいと思っていた。あの頃は失うものが何ひとつなかった。何をしても平気だと思っていた。
時折ニュースで取り上げられる”無敵の人”の凄惨な事件を見るたびに、ああ、これは俺かもしれないと思った。自分もその気になれば同じことができてしまうと思った。被害者よりも加害者に共感していた。わかるぜ、俺らみたいなカスが何をしようと世界は微動だにしないんだから、もう何もかもどうだっていいよな。おまえはやっちまった、俺はまだやってない、違いはそこだけだよな。私は103号室で、シャワーを浴び、飯を食い、歌を歌い、ギターを弾き、レコーディングをし、ミックスをし、マスタリングをし、飲み会をし、セックスをし、喧嘩をし、ゲロを吐き、怒り、怒られ、泣き、泣かせ、めちゃくちゃな5年間を過ごした。「ほんとうのこと」をリリースした翌月、大学を卒業した私はアパートを出た。
そんなアパートが更地になっていた。パサパサの土には自分の血が染み込んでいるんじゃないかと思った。工事計画の看板がなければ、自分の部屋があった場所に目星をつけてごろんと寝転がりたかった。これ、昔なら本当にやっていただろう。看板を思い切り蹴ったかもしれない。更地にしょんべんをしたかもしれない。今はそれはできない。隣にはかけがえのない親友二人がいる。私には失うものができた。あの頃とは違うのだ。
生きるということは、失うものが増えるということだ。一昨年よりも去年、去年よりも今年、今年よりも来年の方が、私の身体は重たくなっていく。感情のアウトプットに時間をかける必要が出てくる。してはいけないことの方が増え、数少ない”してもいいこと”から行動や発言を慎重に選んで日々を生きている(たまにジャッジが甘い時もあるけれど)。
私にはもう隣人のドアは蹴れない。蹴るにしてもバレないようにする。あの頃は足の裏で踏みつけるように蹴り飛ばしていたけど、今やるなら爪先でチョンだ。というか、そもそもやらない。隣人のドアを蹴ろうと思うことはあっても、実行することはない。
でも、今の自分を作っているのは、良くも悪くも昔の自分だ。あいつが積み上げた人生の延長線上に私はいる。私の音楽も、動画も、文章も、大人になったあいつが作っている。隣人のドアを蹴り飛ばした右足でステージに立ち歌っている。今は更地になったこのアパート跡地で、彼なりに戦ってきた結果が今の自分だ。もっと上手くやれたなとは思うけど、もっと上手くやっていればとは思わない。後悔はない。彼は必死だったのだ。平成をがむしゃらに走り抜けた、めちゃくちゃなあいつに胸を張れる自分であり続けたい。
その夜は眠れなかった代わりに、バラードが1曲できた。いつも苦戦する歌詞も一瞬で書けた。こんなに単純なことなのかと笑った。深夜2時、できあがった曲を忘れないように、小さな音でギターを弾いて、誰も起こさないようにボイスメモに録音した。