仕事道具へのこだわり / 専門学校の闇

こんにちは!ゼロカラカンパニーの月岡です。
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さて、今回のテーマは『仕事道具へのこだわり / 専門学校の闇』です。

 

仕事道具へのこだわり

6月最初の土日は、先日立ち上げた自主レーベル「ゼロカラレコード」の初仕事だった。

詳細は伏せるが、すごく楽しい2日間だった。私はずっとカメラを回し続けてドキュメンタリー映像を撮っていたのだけど、これがまあ自分で言うのも何だけど、すっっっごくいい感じだ。

藤井蓮のカメラ映えはもちろんのこと、YouTubeのためにプロ仕様のカメラを買ったことが、ここに来てじわじわ私の創作物のクオリティを底上げしていると感じた。

やっぱり仕事道具は妥協しちゃいけないと改めて痛感した。この2日間をiPhoneで撮っていたらと思うと…ゾッとする。きっとドキュメンタリーではなくホームビデオになっていたことだろう。

 

「彦穂さんのMV作ってみたいっス!」と言ってくれる、実績のない駆け出しクリエイターに仕事を依頼したことが何度かある。しかし、ハッキリ言ってそのほとんどがお粗末な仕上がりだった。今ならその原因がわかる。カメラがお粗末だったからだ。

「ちょっといい」程度のカメラでは、もはや新しいiPhoneと変わらない。iPhoneクオリティのカメラで撮った作品は、一部の例外を除いて、基本的には「素人のホームビデオ」になってしまう。

これはAppleが起こした世界規模の革命だ。iPhoneで誰でも「ある程度綺麗な映像」が撮れるようになってしまったことで、「ある程度綺麗な映像」には芸術的価値がなくなってしまった。

10年前に今のiPhoneクオリティの映像をアップしたら、きっと誰もが「すごい!どこのカメラマンに頼んだの?」と驚いたに違いない。しかし、今それを出してもダメだ。画質の向上に伴い、10年前ならOKだったものがNGになっている。カメラのインフレである。

 

だから今は、映像作品をしっかり作りたければ、「良いカメラ」ではなく「めっちゃ良いカメラ」を使うのが当たり前になっている(ように私は思う)。テレビ局や映画業界と同じカメラを使うフリーランスも多い。

こういう態度こそがインフレの原因といえばそうなのだけど、みんながクオリティの高いものを出しているのに自分だけ「10年前の高画質」でいるのを許せるようならそいつはクリエイターではない。だから映像作品をガチでやりたい人は、みんな数十万〜百万円程度のお金をカメラ回りの機材に惜しみなく投入する。

「彦穂さんのMV作ってみたいっス!」と言ってくれるありがたい人たちは、ほとんどが「良いカメラ」を使っていた。10万円のデジカメとか。

でもそれは、高校生の頃に修学旅行に持って行ったらヒーローだったかもしれないが、令和のMVを作るにはちょっと役不足だ。少なくともレンズと本体を別で買うくらいのこだわりを見せないと、きっともうやっていけないのだと思う。

 

当然、ゼロカラレコードで作る映像作品は「めっちゃ良いカメラ」で撮りたい。

だから人探しはこだわった。知り合いをつたって、実績のある敏腕クリエイターを見つけ、ポートフォリオを吟味した後に、決して安くない金額を払って仕事を依頼した。

まだ完成品は見ていないが、撮影中の振る舞いや撮っている映像を見れば何となくクオリティは想像できる。きっとゼロカラレコード初のMVは、最高の仕上がりになると思う。

 

ちなみに、その方が撮影当日に持ってきたカメラは、何の因果か私と同じSONYのα7sⅢだった。私と同じカメラを一流のプロも使っていると知って、何だかすごく嬉しかったと同時に誇りに思ったことを最後に記しておく。仕事道具には、こだわろう。

 

専門学校の闇

専門学校で就活指導をしている。

たまに我に返って可笑しくなる。いやお前、就活なんて全ッ然マジメにやってなかったやんけ。内定1個しか出なかったくせに何を偉そうに…いや本当、どの面下げて私が就活指導なんてやってるんでしょうね。

でもこれは仕事だ。向いてるとか向いてないとか、好きとか嫌いとか関係ない。仕事だ。だから苦笑いしながら「就活 2025卒」で検索し、あの頃ロクに見ていなかった就活サイトを巡回する。月岡の授業を2年間受けた学生がどこにも就活できませんでしたでは情けないからだ。

 

私の勤める学校は2年制なので、就活指導は主に1年生、つまり18~19歳の学生に対して行われる。

…ところで突然ですが、彼らの悩みで一番多いのはなんだと思いますか?

 

それは「やりたいことがない」だ。

 

「専門学校に来てやりたいことがないってどういうこと?」と思った人もいるかもしれない。クローズドなブログなのでこの際ハッキリ言っておくと、(少なくとも私の勤める)専門学校は「自分のやりたいことが専門学校でしか学べなかった者が入学する学校」ではなく、「大学に行くほどの学力はないけど高卒で就職はしたくない者が、2年間のモラトリアムを謳歌しに来る学校」だ。

彼らは学科なんてどこでもいい。「マンガが好きだからマンガ科(別に漫画家になりたいわけじゃないですけどね〜笑)」くらいの動機で入学してくる。

要は一番授業が「楽しそう」な学科は人気であり、少しでも「学問」を匂わせると学生は寄って来ない。だから私の所属する「YouTuber科(特定を避けるため正式名称は避けます)」は大人気の学科だ。

 

変な日本語だが、YouTuber科にYouTuber志望者はほとんどいない。いるのは「YouTubeを見るのが好きな学生たち」だ。

もちろん一部例外はいて、そういう学生は一生懸命努力するし授業態度も良い。教え子にはチャンネル登録者を1年間で0→1000人にして収益化を達成した者もいる(これは本当に嬉しかった)し、開業届を出してフリーランスになり、某有名YouTuberの動画編集を行っている者もいる。

しかしそんな学生は稀だ。ほとんどの学生に将来の夢はない。私との進路面談では一応面目を気にして「将来は動画編集にまつわる仕事がしたいです」と言うが、そんな誤魔化しは私には通用しない。

私の手腕はここで問われる。つまり「君は本当は動画編集の仕事にあまり興味がないんじゃないかな?他にも向いていることを探してみようよ」という指導がうまくできるか否か。就活指導の本質はここにあると思っている。

 

今のところ、上記のやりとりの後に学生がたどり着く答えは次の2択だ。

・僕にはやりたいことがないんです
・親にも友達にもいえなかったけど、本当はYouTuberになりたいんです

…後者はいい。でも前者は厄介だ。私には君のやりたいことなんてわからない。出会って数ヶ月だからね。

 

だからそういう学生には「この2年間でたくさんの経験をして君の好きなことを見つけようね」的な指導をするようにしていたが、最近、これもなんだかなーと思うようになってきた。

 

理由は、学校の先生に言われて嫌々動いた結果見つかる「好きなこと」なんて本当にあるのだろうか?というのがひとつ。

もうひとつはすごくリアルなところ。「間に合わねえよ」だ。

 

そう、間に合わないのだ。今から好きなことを見つけていては、2025卒の就活には間に合わない。

だって専門学校はあくまで「やりたいことは決まっている『前提』で入学する学校」であり「やりたいことが決まってるなら2年間の学習で卵としては十分」という理念で動いているからだ。カリキュラムに「やりたいこと探し」の時間は1秒たりとも含まれていない。

先に述べたように、実際はこの前提を破って入学してくる者ばかりなのだけど、「構造上そうなっている」というのは紛れもない残酷な事実だ。

 

世間には隠されているが、いくつかの専門学校では「卒業生の就職率」という最も売り上げに関わる数字を上げるために、就職できなかった学生に3年目を与えて卒業させないことがある。

学校からすれば納入される学費が一年分増え、卒業生の分母を減らすことで就職率も上げられるなどいいことづくめだ。そして学生にも「フリーター」ではなく「新卒」としてもう一度就活できる旨みがある。財布の紐を握る保護者に対しては「お子さんにはもっと高度な学びの機会と就活の手厚いサポートをしますので…」とでも言っておけば説得できてしまう。

最悪すぎ〜〜〜と思う。悪魔のビジネスだよこんなの。…しかしながら、この問題に関して私という一個人にできることはゼロだ。先の話も含め、専門学校とは「そういう構造」だ。どんなに最悪でも最悪なまま世界は回り続けるし、私はその構造の中でやれることを探すしかない。

 

「やりたいこともないのに専門学校に来るなよ」と学生を責めるのは簡単だ。でも、それでは目の前の問題を解決することはできない。「やりたいことがないのに専門学校に来てしまった学生と、その学生を指導しなければいけない講師」は現実に存在する。

与えられた構造と手持ちのカードで上手に立ち回ることの大切さを、私は漫画「アイシールド21」で学んだ。この試合、勝ちたい。なんとかしてみます。私にできる範囲で。

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