ラジオ、辞めました。

こんにちは!ゼロカラカンパニーの月岡です。
ゼロカラシティにご参加いただきありがとうございます。

このコラムは、ゼロカラシティのメンバー限定コンテンツです。内容はメンバー以外に漏らすことのないようお願いします。

 

さて、今回のテーマは『ラジオ、辞めました。』です。

 

ラジオの仕事を辞めました。

タイトルにもあるとおり、私は今年の9月で、ラジオのレギュラー番組を辞めました。

2021年の4月からはじまったラジオ番組は、一年半でその幕を閉じました。私にとって特別で、かけがえのない時間でした。

 

この記事では、

・そもそもどうしてラジオ番組を持つことになったのか
・なぜラジオ番組を辞めるのか

を、ゼロカラシティメンバー限定ということで赤裸々に書いていきます。

 

ラジオの仕事がはじまったきっかけ

そもそも、なぜ私のような若造に、こんな花形の仕事が舞い込んできたのでしょうか?

ことの発端は2020年の7月にまで遡ります。

 

 

当時の私は、埼玉県で一人暮らしをしながら、開業したばかりのゼロカラカンパニーをせっせと動かしていました。

YouTubeのチャンネル登録者数は…覚えていませんが、1000〜3000人くらいでしょうか。まだまだ駆け出しの、いわゆる底辺YouTuberと呼ばれる部類でした。

 

そんな状況ですから、当然、仕事はうまくいっていませんでした。ゼロカラカンパニーとしての音楽収入は月に10万円もなかったと記憶しています。

当時の収入は半分以上が家庭教師のアルバイトから。電車で駆け回って子供たちに勉強を教え、それでなんとか生活費を稼いでいました。それ以外の時間帯は、ほぼすべてYouTubeの撮影や音楽制作にあてていました。

 

いわゆる「下積み時代」ですね。花開く見込みもないまま、真っ暗な闇の中を走っている感覚でした。

 

しかも、それに加えて、当時は新型コロナが流行り始めたばかりで、日本中が「非対面!」と叫び始めた時期でした。

家庭教師のために生徒の自宅にお邪魔するのも「どうなの?」と言われていた時代で、このままではアルバイトの家庭教師の仕事もなくなってしまうかも、そうしたらゼロカラカンパニーだけで食っていかねばならず、でもそれは現状無理だから、頑張ってなんとかしなきゃ…、でも頑張るったってどうすればいいの?という不安でいっぱいだったことを覚えています。

 

 

その状況で、悩みに悩んだ私は、悩み抜いた末に大きな決断をしました。

 

 

「埼玉から、仙台に引っ越そう。」

 

 

仙台は、私が大学時代を過ごした街です(よく勘違いされますが、仙台は私の故郷ではありません。生まれは静岡県です)。

 

仙台を出て東京の会社に就職し、そこでフリーランスになり、なぜ今仙台に戻るのか?静岡じゃダメなのか?

そこには4つの理由がありました。

 

①圧倒的に家賃が安い
②大学時代の知り合いが多くいる
③仙台の人とバンドを始めたばかりだった
④家庭教師を辞めて、本気でゼロカラカンパニーをやりたかった

 

①について、埼玉県と宮城県でどれだけ家賃が違うか知っていますか?私が今も住んでいる部屋は、埼玉の部屋と比べて「同じ家賃なのに1部屋多い」です。

②は分かりやすいので飛ばします。そりゃそうですよね。私、埼玉県および東京都になんのゆかりもないですから。がっぷり四つで話ができる人間は仙台にしかいませんでした。

③について、これはラジオにも深く関わってきます。当時私は仙台に住んでいる男と「SUISO(スイソ)」というバンドを組んだばかりでした。当時はとにかくSUISOに夢中でした。ゼロカラカンパニーと同じくらい夢中だったかもしれません。

④については…これだけで1本記事が書けてしまうくらい深いテーマなので、今回はさらっと触れるだけにします。要するに「背水の陣」です。

 

 

さて、そんな理由から仙台に引っ越した私には、なんの仕事のアテもありませんでした。

正直、今だから言いますが、仙台でゼロカラカンパニーを本気でやって、それでダメならもうスッパリ諦めて仙台で適当な会社に就職しよう、サラリーマンに戻ろう、とすら思っていました。

 

しかし、ここで②が効いてきたのです。仙台で文字通りゼロから仕事を探し始めた私を見かねてか、仙台の友人が私に連絡をくれました。

 

「今度ラジオにゲストで出ませんか?」

 

そのラジオ局こそが、私が一年半お世話になった「エフエムいわぬま」でした。

 

 

そこは宮城県岩沼市のローカル局で、今でもやっている「ギャラクシーミュージックホーム」という長寿番組があります。その番組では、毎週ゲストを入れ替えて、仙台のミュージシャンを紹介していく、というスタイルをとっていました。

友人はその番組に、先日ゲストで出たばかりなのでした。そして、次のゲストはその回のゲストが指名するシステムだったため、仙台にやってきたばかり(厳密にはまだ引っ越しは完了していなかったのですが)の私を、ありがたくも友人はゲストとして抜擢してくれたのです。

 

忘れもしません。初めてのラジオ出演は、埼玉県の引越し間際の自宅から電話出演でした。

収録後、「月岡さん、次のゲストは誰を指名しますか?」と聞かれます。当然答えは決まっています。

 

「『SUISO』の相方を指名します!」

 

こうして、翌週は相方がゲストとして出演しました。そうしたら「バンドなんだから次週は2人揃っておいでよ」と言ってもらえたので、そのまた翌週は、SUISOの2人で出演させていただきました。

 

ここまでは、私が仙台への引っ越しを決意したことから転がっています。引っ越しの時期が今だったから、引っ越し先が友人のいる仙台だったから、バンドの相方が仙台にいたから、すべてが歯車のように噛み合って、うまく回ってくれました。

 

…そしてここからはごめんなさい。参考になることはないかもしれません。

私は、いや、SUISOは最高にラッキーでした。「ギャラクシーミュージックホーム」のパーソナリティの方は、いたく我々を気に入ってくださり、なんと番組のルールを無視して、そこから半年間、ずっとSUISOだけをゲストとして出演させてくださったのです。なんということでしょう。
そして半年間ゲストとしてラジオに通い続けた頃、ラジオ局の社員さんから「ちょうど水曜夕方の生放送の枠が空いたから、レギュラー番組持ってみませんか?」と提案されました。なんということでしょう。

 

いやほんと、なんということでしょう。トントン拍子とはこのことか。

こうしてSUISOのラジオ番組ははじまりました。仙台に引っ越して本当によかったなと、今でも心の底から思います。

 

なぜラジオを辞めたのか?

そんな奇跡みたいなはじまり方をしたラジオ番組を、なぜ私は辞めてしまったのか?

 

まず最初に断っておきたいのは、私、揉めてはいません。相方ともしっかり話し合い、ラジオ局にも契約満了のだいぶ前に余裕を持ってお話ししたので、かつて経験したことがないほどの、圧倒的円満退社でありました。

話を相方に切り出したとき、「俺もそろそろかと思ってたよ」と言われたことが強く印象に残っています。同じ気持ちだったんだと確認できて嬉しかったです。

 

 

さて、前置きはこれくらいにして、辞めた理由を書きます。

単刀直入にいうと、

 

「人生におけるラジオの優先順位が下がったから」

 

です。

 

 

ラジオを始めた頃は、私は仙台に引っ越したばかりで、本当に、藁にもすがるような想いでした。血眼で仕事を探し、どんな仕事だって選ばず受けてきました。

しかし、当時やっていた仕事で、今でも残っている仕事はほとんどありません。一時期は仙台でアイドル育成をしようとしたり(!?)、IT系の世界に首を突っ込んだりしていましたが、もう全部終わりました。

 

 

なぜか。

 

それは大変ありがたいことに、ゼロカラカンパニーの仕事だけで生活できるようになったからです。

 

 

仙台に引っ越してから2年間、自分で言うのもなんですが、死に物狂いで働いてきました。そしてその結果、今は生意気にも、仕事を選べるようになりました。…本当にありがたい話です。

仕事を選べるということは、裏を返せば、選ばないとキャパオーバーになってしまうということです。自分の人生の本質から遠い仕事は、どんどんお断りしなければいけません。

 

そして、私にとって「エフエム岩沼のラジオ」は、人生の本質の仕事ではありませんでした。

 

ラジオはとても楽しかったです。相方と1時間ゲラゲラ笑いながらおしゃべりして、それでお金をいただいて、なんなら少ないとはいえファンまでできるなんて、3年前の自分にそんな仕事をしていると言っても絶対に信じてもらえないと思います。本当に夢のような仕事だなあと思います。

でも、それは私にとって「余暇」であり、「遊び」でした。失礼を承知で書きますが、私はラジオに対して、徐々に「仕事」としての意識を失っていましたし、キャリアとしての「ラジオのその先」も、わからなくなっていました。

 

ラジオは最高でした。できればもっとやっていたかった。でも、ゼロカラカンパニーをもっと先に進めるためには、仕方ありません。

そう決心して相方に話し、合意のもと、ラジオは終わることになりました。

 

まとめ

もったいないことをしたな〜〜〜。

とは、正直思います(笑)

 

実はこの記事が更新されている今日、一年半ぶりのラジオのない水曜日なのですが、とても変な感じがします。なんならちょっともう、ラジオ局に行って喋りたくなってます。

でも、私はこの空いた時間を使って、ゼロカラカンパニーを前に進めると決めました。だから後悔はしていません。

 

このタイミングでラジオを辞めたことが、数年後に「あのとき行動してよかった!」と思えるように生きていこうと思います。2年前に仙台に引っ越したことが、間違っていなかったと今思えるように。

 

ということで、今回の記事はここまでです。来週もお楽しみに!

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