こんにちは!ゼロカラカンパニーの月岡です。
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帰省
静岡の実家に帰って来ている。
仙台から静岡までは遠いようで、近いようで、やっぱり少し遠い。東京までの2時間を遠いとは思わないが、静岡までの3時間は遠いと感じる。東京で「一区切り」の感覚があるからだ。私にとって、東京より西側は「旅行」、東京までは「仕事」という意識があるのかもしれない。
特にやることがなく暇なので、Kindleで本を読んだり、アマプラでアニメを見たり、祖母と話したりして暮らしている。午前中、近所のスーパーへ買い物へ行ったら店内は大盛況で、客のほとんどが推定60歳以上の夫婦だった。過疎には耐えつつも高齢化はしっかりと進んでいるらしい。私の実家も来年60歳になる両親と83歳の祖母の3人暮らしで、きっとそういう家庭がこの地域には多いのだろう。子供が都会に出て両親が残るパターン。時が流れれば両親は老夫婦になり、こうして午前中のスーパーに買い物にやってくる。
私は仙台の大学を卒業したあと、就職で埼玉へ引っ越した。翌年会社を辞め、ゼロカラカンパニーを起業して、そしてすぐにコロナの時代に突入した。全ての仕事をオンラインに切り替えた私は「このまま埼玉に住む意味はない」と思い、家賃を抑えるために引越しの検討を始めた。
その時点で静岡に戻る選択肢もあった。しかし、私はその選択肢を捨てて、学生時代を過ごした仙台に帰ってきた。4年経った今も仙台に住み続けており、この4年間で結婚したり、事務所ができたり、オトナリダンギが始まったり、仙台に引っ越さなければできなかったイベントが山ほどあった。結果論ではあるけれど、私はあのとき静岡に戻らなくて良かったと思う。
地元は嫌いじゃない。両親との関係も悪くない。でも、実家に戻ろうとは思わない。いつかは帰ってくるのかもしれないけど、今じゃない。18歳で実家を出て、ずっと「今じゃない」と思い続けて来年30歳になる。いつ「今」と思うのかはわからない。思わないかもしれない。あるいは天災や病気をきっかけに何か変わるかもしれない。でも、どのみちそれは今じゃない。
私は、18歳で実家を出られて良かったと思っている。私の今の人生のほぼ全ては「実家を出たこと」によって成り立っているから。実家を出たから夜中もDTMができたし、朝までギターを弾いて歌えた。出会えなかったはずの人に出会えて、バンドを組んでみたり、飲み明かしてみたり、喧嘩してみたり、付き合ってみたり、別れてみたりできた。もし実家から通える大学に入っていたら、私は今頃、実家に住みながら高校で数学教師をやって、もっと早くに地元の誰かと結婚したりして、そろそろ子供もいたかもしれない。DTMは休日に触る程度で、ゼロカラコンピのようなイベントに応募することを日々のささやかなモチベーションにしていたかもしれない。その人生も全然悪くなさそうだけど、私は今の人生をそこそこ気に入っているので、やっぱり18歳で実家を出られて良かったと思う。
私にとって、地元は「落ち着く場所」で、外が「戦う場所」だ。実家で曲が書ける気がしないし、動画も撮れる気がしない。地元の空気は自分を甘やかす。そのままでいいと肯定し、優しく包み込んでくれる。私はそれが逆に居心地悪く感じてしまう。性格がひねくれているので、自分という存在が拒まれていたり、否定されている方が生きやすいのだ。アウェイな環境で一人でコソコソ頑張るのが好きで、ものづくりが捗る。自覚はないけど、少しマゾヒスティックな嗜好があるのかもしれない。地元にいるのは落ち着くけれど、どんどん自分が丸く整形されている感じがして苦手だ。まだ尖っていたいのだ。自分のやりたいことをやって、嫌いなものには嫌いと言って、周囲を少し呆れさせながら生きていたい。インターネットでもがいていたい。だから私は、実家に戻るにはまだ早い。
でも、たまにこうして帰ってくるのは好きだ。先ほど書いたように地元は嫌いじゃないし、両親との関係も悪くないので。普段仙台で聴いているラジオや音楽が、近所を散歩しながら聞くと全く別物のようで面白い。母の作る料理の味付けが、普段自炊するものと違いすぎて面白い。エアコンの風を扇風機で部屋中に流していて面白い。見たことのないレンタサイクルが普通に走っていて面白い。地元とはいえ、異国に来たような気分になる。流れている時間や空気、文化が確実に違うとわかる。今日だって結構活動した気がするけれど、まだ15時半だ。不思議。体感ではもう18時なのだけど。
実家は、こうしてたまに帰るくらいが良い。滞在も1〜2日が良い。私は「帰省」というイベントを、ほぼ「旅行」と同じ感覚で扱っている。かつて地元だった異国への旅行だ。地元は変わっていない。変わったのは私で、そして変わった度合いが強ければ強いほど、私は成長していると言える。その実感を持たせてくれる貴重な旅行先、それが実家なのである。
明日からまた騒々しい日々に帰る。またここに帰ってくるのが楽しみだ。