音楽を仕事にする難しさ

こんにちは!ゼロカラカンパニーの月岡です。
ゼロカラシティにご参加いただきありがとうございます。

このコラムは、ゼロカラシティのメンバー限定コンテンツです。内容はメンバー以外に漏らすことのないようお願いします。

 

さて、今回のテーマは『音楽を仕事にする難しさ』です。

 

音楽で飯を食いたい人たち

私の周りには、音楽で飯を食いたい人間が集まってくる。

類は友を呼ぶ、とはまさにこのことだと思う。私が音楽で仕事をしているので、同じく音楽で仕事をしている(あるいはしたい)人間を引き寄せているのだろう。

 


→こういうDMが結構な頻度で送られてくる。

 

昔はこういうDMにもきちんと返信していたが、いつからかやめた。たぶんLINE質問サブスクを始めたあたりからだと思う。お金を払って私に質問してくれる人がいる以上、タダで質問に答えてしまっては有料会員に示しがつかない。

それでも最初は全員に「LINEで有料会員があるよ。よかったらそっちを使ってね。」と丁寧に返信していたが、誰一人として登録してくれないのでそれもやめた。タダで利益を得ようとする人は、お金を何としても払いたくないという習性に気づいたからだ。

とはいえ、LINEの有料会員から「音楽で飯を食いたいのですがどうしたらいいですか?」という質問を受けたところで、私は答えに詰まってしまう。明確な答えを持っていないからだ。こうしたら音楽で飯が食えるよ、という答えが存在するならば、とっくにみんなやっている。ないから困っているのだ。あなたも、私も。

 

最初に断っておくと、この記事では「どうやったら音楽が食えるか」の具体的な答えは出てこない。そんなものはないからだ。この記事では、私の3年ちょっとの音楽系フリーランスとしての経験をもとに、音楽で飯を食う難しさと、抽象的な解決策を探り探り述べていく。話半分で読んでいただければ幸いである。

 

なぜ音楽で飯を食うのは難しいのか?

まず、なぜ音楽で飯を食うのは難しいのかについて私見を書いていこうと思う。

私が思うに、その理由は

  • 成り方が確率していないこと
  • 必需品ビジネスでないこと

が大きな原因だと思う。

 

前者は先ほどまで書いていた話そのままである。例えば中学校の先生になりたい場合、成り方は1パターンで確立している。四年制大学に通い、教職の単位を取り、教育実習を経て大学を卒業し、教員採用試験に合格することだ。中学校の先生になる方法はこれしかなく、逆にいえば、このステップを踏めば全員もれなく中学校の先生になれる。例外はない。

しかし、音楽で成る方法は確立していない。例えば武道館でワンマンライブをやる方法は「めちゃくちゃ売れること」であるが、肝心のめちゃくちゃ売れる方法が確立していない。武道館に出られる国家試験はないし、武道館行きの単位を出してくれる学校もない。さらに言えば、過去に武道館に出たミュージシャンには「めちゃくちゃ売れてた」以外の共通点はなく、その達成経路にはまったく再現性がない。これが、音楽で成ることが難しいとされる1つ目の原因だ。

 

そして後者の「必需品ビジネスでないこと」も、私は大きな壁だと感じている。「必需品ビジネス」というのは私の造語だが、意味はなんとなく伝わってくれると信じている。

音楽は娯楽である。娯楽はなくてもヒトは死なないから、音楽の購買優先順位は下がる。音楽にお金を使うよりも先に買うものはたくさんある。食べないと死ぬからスーパーや飲食店に行き、寝ないと死ぬから家に住んで布団やベッドを買う。読み書きや計算ができないと社会に出られないから学校に通って勉強をする。飲食や寝具、教育は紛れもない必需品だ。だから必ず一定数売れるし、需要がなくなることはない。

音楽は違う。音楽はなくても死なない。一生音楽聴けないのと一生食事ができないのだったら、私は迷わず音楽を聴けない人生を選ぶ。地球人の99.999%はきっと同じ選択をするはずだ。音楽は常に「選ばれない」側だ。景気の悪い日本ならなおさらである。電気代が上がり、日用品の価格も上がっている今、音楽にお金を使える人間はどんどん減っていくだろう。ライブに行くことが高級な娯楽になる未来だって、あり得ないとは言い切れないのだ。

 

じゃあどうしよう?

私の普段の動画なら、ここで気持ちいい解決策を明瞭にスパンと言って「さすが月岡さん!」と感動していただくところだが、残念ながらこの記事はそうではない。無念である。

先に述べた通り、ここからは「こうしたら音楽で飯が食えるんじゃないかなぁ、たぶん……」くらいの温度感で、私見をつらつら述べていこうと思う。

 

まず、音楽で飯を食う、と一口に言っても、その中にはさまざまな仕事がある。

当然、倍率が高い仕事低い仕事がある。

倍率が高い仕事とは例えば「バンドで武道館に行く」とか「ラブライブに曲を提供する」とかそういうものだ。要するに「俺の音楽を売りたい」という願望であるが、これはこの世のすべての願望の中でもトップクラスに倍率が高い目標と言えるだろう。「100万人登録のYouTuberになりたい」「国民的映画スターになりたい」と本質的に言っていることは同じである。

一方で、「DTM初心者の曲を集めてサブスク配信し、積極的なリスナー同士の交流を促進することで彼らが音楽を続けるための場所を提供する」という仕事がある。手前味噌で申し訳ないが、ご存知ゼロカラコンピである。やっている人が少ないので、武道館に出るよりはるかにハードルの低い仕事だ(いつかゼロカラコンピで武道館に行けたらアツすぎますね)。

 

音楽ではないが、最近私が感動した仕事は「MacBookのサブスク」だ。月額いくらでMacBookをレンタルできるらしい。このサービスは着眼点が見事で「買う前に1ヶ月お試しで使ってみたい」「演劇などの小道具としてMacBookを使いたい」「金はないけどスタバでドヤりたい」という層に刺さりまくっているらしい。人間の隠れた欲望に注目し、そこをちょいちょいと突くお手本のようなビジネスモデルである。心底うまいなぁと感心してしまった。

 

ゼロカラコンピやMacBookサブスクは、ある意味誰でもできる仕事ではある。誰でもできるは語弊があるかもしれないが、要するに、思いついたもの勝ちである。ゼロカラコンピは先にSleepFreaksに思い付かれていたらきっと私はできなかった。(余談だが、私がLINE質問サブスクを始めた頃、SleepFreaksも同じサービスを始めようとしていたらしい。先に始めてよかった…)気付いていないだけで、音楽業界にはまだまだそういった「穴」があると私は睨んでいる。誰よりも早く、多くの穴を見つけたいものだ。

 

 

さらに個人的には、これからは「誰が作ったか」が大切になる時代だと感じている。AIの台頭や情報のオープン化によって、誰でも一定以上のクオリティの音楽は作れるようになった。ゼロカラコンピの収録曲を聴いていただければ、それはわかっていただけると思う。

だからこそ、これからは作品の品質が高いのは「あたりまえ」になっていくはずだ。いろんな人が言っているので書くことは躊躇ったが、大いに賛同する考え方なので書かせてもらう。すなわち「何を作ったか」よりも「誰が作ったか」の時代の到来である。この曲は○○さんが作ったから意味がある。○○さんの提供するサービスだから意味がある。モノの価値がある種の平衡状態を迎えた今、価値基準のパラメータとして次に台頭するのは、きっとSNSでつけた個人の発信力や信頼感であろうことは、想像に難くない。

 

ネットには、たまに私の真似をしてサービスを提供している人がいる。「超初心者向け」と謳って私と同じパッケージでCubaseレッスンを売っている彼らは、ゼロカラカンパニーのレッスンが売れている本当の理由に気づいていない。私のレッスンが売れているのは「YouTubeで顔を出していつも喋っている月岡が個別にレッスンするから」である。表面だけ真似して「Zoomで遠隔操作してCubaseを教えます。録画も渡します。でもゼロカラカンパニーより安いです」でうまく行くはずがない。私のCubaseレッスンだって、YouTubeが伸びるまでは全然売れなかったのだ。

 

個人の発信力がものをいう時代だ。すると皮肉なことに、今度は「どうすれば影響力をつけられるのか」という命題が生まれ、この命題の本質は冒頭の「どうしたら音楽で飯が食えるのか」と同質である。ぐるぐるぐるぐると考えて、自力で答えらしきものを出すしか、勝ち残る術はなさそうだ。

 

まとめ

結論とも呼べない結論で申し訳ないが、これが本記事の結論である。

 

私も日々試行錯誤している。YouTubeを伸ばすにはどうしたらいいか、ゼロカラコンピの、そしてシティの参加者を増やすにはどうしたらいいか、考えない日はない。仮説を立てて検証し、結論をコロコロと変え、醜くももがき、苦しみながら、それでもなんとか暮らしていく。こんな日々がきっとまだまだ続くだろうと思う。

 

シティのみんなと一緒に頑張りたい。頑張るのは大変で、時々嫌になる時があるから。1人では出てこないアイデアも、人と話すとポロッと出たりするから。私に力を貸して欲しいし、私の力を使ってあなたの目標を成し遂げて欲しい。持ちつ持たれつでお互い頑張っていきましょう。というのが、この記事の結論とも呼べない結論である。

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