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まっすぐな表現について思うこと
新しいMVの撮影準備が着々と進んでいます。
4月末の公開日から逆算して、撮影は3月半ば頃。そのための打ち合わせ、衣装の調達、動きの確認、ロケ地への許可どりなど、いろいろな人が動いてくれています。
今回のMVでは女優さんを起用します。先日、打ち合わせのため、その方とチェーンの珈琲屋で待ち合わせしたのですが、入口から入ってきた時のオーラがすごくて笑っちゃいました。顔は小さすぎるし、脚は長すぎる。もっとこの人に似合うシックな珈琲屋にするべきだった…と少し反省しました。
MVで女優さんに何をしてもらうかというと、ずばり「主人公役」です。今回の楽曲は、詳しくはまだ言えないのですが、ずっと一人称視点で物語を紡ぐタイプの歌詞です。その物語の主人公を演じてもらいます。私もがっつり登場しますが、あくまでMVの主たる目線はその女優さんです。
正直にいうと、私は最初、「歌詞のストーリーをそのまま女優に演じてもらうMV」に抵抗がありました。理由は、つまらないと思ったからです。
物語調の歌詞を馬鹿正直にそのまま演じるなんて、寸劇じゃあるまいし、ちょっとサムくない?という意見をShinさん(いつもお世話になっているMVクリエイター)にぶつけたところ、
・月岡さんが思うほど歌詞のストーリーはリスナーに伝わらない
・本気で数を狙いに行くならわかりやすい映像にするべき
・自分はそういうMVをカッコ悪いとは思わない
と言われ、それもそうかと考え直し、プロであるShinさんの意見を採用することにしました。餅は餅屋です。
このやりとりには、私の性格上の大きな弱点が表れています。
というのも、私は昔から、「まっすぐ在ること」や「ベタ」への嫌悪感というか、恥ずかしさみたいなものが強烈にあるのです。
例えば音楽で言うと「アイラブユーと言うのはダサい」みたいな、そういう感覚がずっとあるのです。他にも「バズ狙いでサビ始まりにするのはダサい」とか「1番の後に同じ構成の2番があって、Cメロからの落ちメロからの転調大サビはダサい」とか。巷のテクニックやアルゴリズムを愚直に守っている表現を見ると、「やってんなあ」と思ってしまいます。
私のこの価値観は音楽だけにとどまらず、私生活にも存分に悪影響を及ぼしています。ここだけの話ですが、私のプロポーズはひどかったです。ディズニーランドに行く道中の、ただ泊まるだけの簡素なホテルの部屋で言ってしまいました。妻からはずっと「なぜディズニーまで待てなかった」と文句を言われ続けていますが、これは私の「ディズニーでプロポーズなんてベタすぎて恥ずかしい」という自意識をわかりやすく表した最悪のエピソードです。(念の為補足しておきますが、そういう方を馬鹿にしているわけではなく、私は個人的に好まないという主観の話をしています)
ややこしいのが、これが子供じみた感性であることを自分で十分に理解しているという点です。これは一種の反抗期のようなもので、中学生が身近な社会である「親」に反抗するのと同じように、私は身近な社会である「表現技法」に反抗しているにすぎないのです。そういう、ある意味で中二病的な感覚がまだ残っている恥ずかしさを嫌というほど感じます。
まっすぐな表現ができる人に憧れます。特に、自分よりも成功している人間がベタをまっすぐやって売れていると、「この人は一周回って『敢えて』やっているのだろうな」と悔しい気持ちになり、嫉妬してしまいます。精神的に自分よりも大人だと思わされるからです。この人は中二病を克服したのだ、と。
私は自分のこの感性がずっと嫌で、でも、ダサいという価値観自体は変えようがないので、どうにか折り合いをつけられないかと模索し続けてきました。
最近ようやく「恥ずかしさ」と「成果」を切り分けて考えられるようになってきました。「この表現は恥ずかしいけど、成果を出すためにはやむをえない」という考え方です。
例えばYouTubeで私がよくやる「○◯3選」みたいな動画も、最初はすごく恥ずかしかったし、それを作って出している自分が嫌でした。しかし、このテンプレートは数が取れます。成果が出ます。私も経営者の端くれであり、数に囚われた人間のひとりですので、仕事では恥ずかしくてもベタをやることにしたのです。ショート動画やサムネイル、Xのポストも同じ葛藤のもとで作っています。
先に述べたMVの件もまさにそれです。歌詞をそのまま演じるなんてベタで嫌だという「感情」は、わかりやすい表現とサムネの方が再生回数が取れる(だろう)という「成果」には勝てません。これは趣味ではなく仕事なので、成果は絶対に出さなければいけなくて、そのためには捨てなければならないプライドがあります。そのうえ私は、幸いなことにその中二病的なプライドと早くお別れしたいと考えているので、捨てられそうな時にどんどん捨てることにしているのです。
長利くんにMVの一件を話したら「僕も完全にShinさんに賛同しますね」と言われました。彼もまた、私の身近にいる「まっすぐな表現ができる人」の1人です。彼が年末に行ったYouTubeフリーライブはご覧になりましたか?まだ見てない方は是非見てください。まっすぐで純粋なMC、王道で馴染みのある歌詞とメロディ、ミュージシャン然としたパフォーマンス。どれも今の私では自意識が邪魔で到底出来ません。友人ながらそのまっすぐさに憧れてしまいます。彼が元々そうなのか「一周」したのかはみなさんのご想像にお任せしますが、彼の表現が素晴らしいことは揺るぎない事実です。
どうしても私は、自意識過剰でひねくれた人間で在ることをやめられません。これはきっと私の本質に近い部分なので、今から矯正できるものではない気がします。私はこのめんどくさい性格と一生付き合っていかねばならないでしょう。ブログの文字を太字にしているときも「読みやすくしてんなよ」と自分に思ってしまいます。
でも、先述の通り、私は数字を追うことが仕事になってしまった人間です。自意識過剰でひねくれているのはどうぞご勝手に。さあ結果を出してください。数字を見せてください。これが私の生きるフリーランスの世界のルールです。ウジウジ言って結果を出さない人より、割り切って結果を残す人の方が私はかっこいいと思います。ここはなぜか、まっすぐそう思えるんですよね。だから私は結果を求め、自意識を封じ込めてMVはまっすぐ作ると決めました。
楽曲についても、サビ始まりを解禁して「冒頭3秒のアルゴリズム」にまっすぐ従いました。歌詞もできるだけストレートな言葉遣いや、共感を得られそうな表現を選んでみました。メロディも少し懐かしい雰囲気のキャッチーなサビにしてみました。落ちサビで音数を減らし、大サビでは恥ずかしげもなく転調しています。
私は思うのです。中途半端が一番ダサい。まっすぐやるなら、とことんまっすぐやってやる。一部だけまっすぐにして「まっすぐ成分入れてみましたww」のようなダサいことはしません。次のMVは、徹頭徹尾まっすぐ作ります。キャッチーなメロディ、ストレートな歌詞、最近流行りの凝ったコード進行、映える女優。ベタを詰め込んで作る次のMVが、どんな結果を出してくれるか楽しみです。
とはいえですね、ぜひMVを聞いた後で、その曲が収録される4thアルバムを聞いてほしいです。そこには月岡彦穂の「らしさ」をすべて置いておきますので……。
あぁ、早くみんなにMVを届けたいです。