昔のTwitterは楽しかった

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昔のTwitterは楽しかった

例のMIX師の話に私は興味がない。あれはただの犯罪者のニュースだ。彼の悪事は法の下できちんと裁かれるべきだと思うけど、そこで職業の話を持ち出す意味はわからない。MIX師が悪いのではない、彼個人が悪いのだ。「今回の一件でMIX師は全員襟を正すべきだ」とか「そもそもMIX師という言葉自体どうなのか」とか議論している人たちは全員どうかしている。関係ないんだよ、あの事件とMIX師は。おまえたちは日頃溜まっている「MIX師」への鬱憤を晴らしているに過ぎないんだよ。

私は事件そのものより、SNSでの界隈の盛り上がりの方が気味悪く感じてしまった。特にX。最近のXはいよいよ手がつけられなくなってきた。私が思うに、インプレッションに応じて報酬が発生するシステム、あれが本当によくない。あれが成立するのはYouTubeやブログのような「制作に専門知識が必要で簡単には生み出せないコンテンツ」だけだ。誰でもできる「140字の投稿」なんかに報酬を発生させるべきではない。おかげで今のXは、露出狂の集会場になってしまった。

私はメインアカウントでXのタイムラインを追っていない。最近もうひとつアカウントを作り、好きなアーティストのリリース情報やDTMニュースはそちらで追うようにしているが、それもインスタで事足りる気がしている。X固有の魅力はもはやない。辞めるのもやぶさかではないが、文章を出す場所としてギリ機能しているので使い続けている。だが、それもYouTube投稿で賄えると言えばそうだ。それでもXを消さないあたり、もしかしたら10年以上使い続けたことで愛着が多少なりとも芽生えているのかもしれない。

昔のX(Twitter)は楽しかった。理由はただひとつ、友達の投稿が見られたからだ。Twitterはリアルの友達と繋がる場所だった。友達が遊んでいる写真が投稿され、友達が食べたご飯が投稿され、友達が異性を口説いたり、喧嘩したりするのを興味深く見ていた。Twitterで起きるすべての出来事は「知っているあいつ」が起こすものだったから、現実感があったし、自分ごととして楽しむことができた。

でもそれは10年前の話。10年で皆徐々にTwitterを卒業し、どのアカウントも最終投稿日は1年前、2年前と伸びていった。いいね欄だけは時折更新されており、投稿をやめただけでタイムラインは追っているのだと分かった。久々に会ったときに、最近Twitter静かじゃん?と聞いてみれば、SNSに投稿するようなことがないと言われた。そりゃそうだよな、と思った。学生時代は暇だからSNSができたのだ。社会人になれば普通は学生ほどSNSは使わない。普通の会社員なら尚更だ。当時普通の会社員だった私は深く共感した。

紆余曲折の末に私は「普通の会社員」ではなくなり、自分自身が商品になる人生を選んだ。その結果、SNSを辞めることは許されなくなった。この仕事をしている以上、SNSの停止はイコール死を意味する。ヒイヒイ言いながらYouTubeを更新し、Twitterで自身の活動をアピールした。知らない人からいいねやコメントがもらえた時は嬉しかった。いつの間にか私にとって、SNSは「知らない人と繋がるもの」になっていた。気づけば、当時の友達はほとんど全員、SNSからいなくなった。

こういう仕事をしていると、SNSでの「ある行動」に慣れてくる。それは、「友達からフォローを外されること」だ。彼らの心理が私にはよくわかる。久しぶりにSNSにログインしたら、かつて友人だった『ひこほ』が訳のわからないDTM(?)の話をしている。ジャケットを着て、動画に出て、早口で何かをまくし立てている。あ、これは私の知るひこほじゃない。私は『ひこほ』をフォローしたのであって、『ゼロカラカンパニーの月岡』に興味はない。もう関わらなさそうだしさようなら。……こんなことが何度も何度もあり、しかし、それでフォローを外すような人は元々深い仲ではないことが多かったので、さほど気にせずにいた。

今にして思えば、そこが分岐点だったと思う。

気づけば、私のXのフォロワーは、全員が『ひこほ』ではなく『ゼロカラカンパニーの月岡』のフォロワーになった。ありがたい話である。でも、そのせいで私は、Xで『ゼロカラカンパニーの月岡』然とした発言しかできなくなった。

「今から飲み行くけど来れる人ー?」と言えなくなったX。これが私には最悪につまらなかった。YouTubeの動画更新や、リリース情報解禁のときだけ動かす”ニュース”としてのX。いわゆるビジネス的利用。自分がそんな投稿ばかりしているからか、タイムラインにも同じ属性の投稿ばかりが流れてくるようになった。しまいには同じ界隈の人の”お気持ちツイート”も流れてくるようになり、誰だこいつ、という気持ちでいつの間にか140字以上になったツイートを無感情に眺めていたある日、あ、Xつまんね、と自覚した。

私は好きだったTwitterは、「知っているあいつ」の文章が読める場所だった。今はもう、文章を読みたい「あいつ」が誰もいなくなってしまった。私は墓場にいる。かつて友達がたくさんいた墓場を、もしかしたらまだ生き残りがいるかもと期待しながら彷徨っている。しかし、私が5年前に『ゼロカラカンパニーの月岡』になった時点で、私の好きなXは死んだのだ。生き残りはいない。いるのは「知らん奴」だけだ。

MIX師の件で、私のX嫌いはより強化された。もうだめだここは。意味がない。だってこの問題に首を突っ込んでる奴ら誰一人として知らない。誰も言わないから私が言うけど、Xで元気なエンジニアの皆様、気持ち悪すぎる。お気持ちを表明したいなら個室居酒屋か、それが難しれけばこういうクローズドな場所を作ってほしい。スクランブル交差点でいきなり叫ぶな、迷惑だから。

今のXはあまりにも”言ったもん勝ち”すぎる。「実は長利和季はレコーディングに来た女の子全員に手を出している」と私が嘘の投稿をしたらみんな素直に信じるんだろうな。阿呆は裏なんて取らない。長利和季は寄ってたかってボコボコにされて、スタジオは閉業に追い込まれる。腹いせに今度は「実は月岡彦穂は不倫している」と長利和季が嘘を投稿すると、今度は阿呆がニコニコしながらこちらへやってくる。私は同じようにボコボコにされる。嘘は真実として歴史に刻まれる。

安全地帯から石を投げる娯楽ほどタチの悪いものはない。しかもこの娯楽、年齢制限もなければお金もかからないと来た。好き放題書き終わった阿呆はすぐに違法エロサイトを開き、無料でオナニーを済ませる。賢者状態でYouTubeを開き、5秒間の広告にイライラし、2倍速で動画を見終わったらTikTokを開き、脳みそを動かさずに女の尻と何かしらの達人とびっくり映像を30分間眺め、ベッドに入る頃には月岡のことも長利のこともすっかり忘れて、次のターゲットの情報が流れてくるのを待っている。

こんな世界は間違っていると思うけど、どこから直していけばいいのかわからない。不可逆な変化なのだろう。昔のTwitterのような世界は、インターネットから消えてしまった。

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