こんにちは!ゼロカラカンパニーの月岡です。
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インプットとアウトプット
曲のタネが欲しいとき、歌詞を書きたいとき、ブログを書きたいとき、何かものづくりのヒントが欲しいときは、大体あてもなく事務所を出て仙台駅方面へ向かう。
外は刺激の宝庫だ。既知のものだけで構成されている自宅や事務所とは違う。新鮮な刺激がいくらでもある。
例えば今日、夕方に事務所を出たら少し涼しいと感じた。先週より湿度が下がったのか、風が秋のそれに近づいており、もう少し経てば仙台の夜は肌寒くなる予感がする。去年着てた服は今年も着られるかな。今年はどんな服を買い足そうかな。Gジャンとか着てみたいかも。どれ、ちょっくらあの服屋へ行ってみよう。うーん、来たはいいものの欲しいGジャンはないなあ。お、店員が話しかけてきた。あれ?そんなGジャン店頭にありました?あー、ラスト一着なんすね。ちょっと羽織ってみて良いですか?おお、これはかなりかっこいい!サイズもピッタリだしこれ買います!ありがとうございました〜!
…で、いまはスタバで文章を書いている。思わぬ出会いがあったので気分がいい。すべては外に出たおかげだ。
20代前半の頃は、逆に外出しないほうがいい曲が書けると思っていた。家に一人でこもって、煮詰めて煮詰めて煮詰めて煮詰まった音楽こそが至高だと盲目的に信じていた。外部刺激を極力入れず、純度の高い「自分」を込めようと苦戦していた。実際、作曲を始めた18歳の頃は18年分の感情のタネがあったので、そのやり方でいくらでも曲が書けた。でも、30歳を目前にしていよいよ感情の貯蓄がなくなってきた。だから積極的に外に出て、あらゆる刺激を摂取し、むくむくと感情になるまで育てている。ポジティブもネガティブも、リアルもネットも関係なく、あらゆる刺激を摂取するよう意識して生活している。
最近、高速バスが好きだ。仙台から東京へ行くのによく使う。新幹線なら1時間半で着く移動が高速バスだと6時間もかかる。それでいて値段は6,000円ほどしか変わらないので割に合わないと思って基本的に新幹線をチョイスしていたが、数ヶ月前、ゆったり移動しても間に合うスケジュールがあったので、「だったら久しぶりに」と高速バスを予約してみた。
結果、すごく良かった。何が良かったかと言えば、バスの中でPCが触れないこと。私のPCは結構大きく隣の人にぶつかってしまうため、バスの車内では使えない。なので基本的にずっとスマホをいじることになる。動画編集もできないし、動画の台本を書こうにも手元にCubaseがない。Wi-Fiもないので動画を見続けるわけにもいかない。…こうなると、データ容量の軽いサブスクリプションの音楽を聴くくらいしかできない。
高速バスは絶好の「リスニング専用時間」だ。音楽を聴くくらいしかやることがない、という贅沢な時間。普段はなかなかそんな時間は作れない。PCに気を取られたり、人に話しかけられたりしてしまうから。でも高速バスにはそれがない。誰にも邪魔をされず、ゆっくりと音楽を聴くことができる。後で聴こうと思って「積聴(つんぎく)」になっていたアルバムを端から再生し、いいなと思ったら何度も繰り返し聴き、歌詞にハモリにコード進行、各楽器のフレーズ、こだわりのミックスに耳を凝らす。自分の中になかったものがあれば吸収し、これは次の作曲で取り入れてみよう、ここは自分ならこうするな、とか色々なことを考えながら新しい音楽を聴いていると、いつの間にか次作の歌詞ができていたりする。だから6時間なんてあっという間だ。
先日「作曲缶詰」をしたときも思ったが、もっと頻繁に、「何かに集中する時間」を作ったほうがいいのかもしれない。具体的には、PCを触らず、オフラインに近い状態で音楽を聴いたり作ったりする時間。深く思考し、感性を研ぎ澄ませ、自分の中に貯めたり、自分から出したりする時間。SNSに触れず、仕事に触れず、他人に触れず、一人でじっくり物事に取り組む時間。そういうものがきっと必要なのだ。そして、それをするためには最初に書いたようなインプットが欠かせない。
それらをサボったら、きっといつか音楽が生まれなくなってしまう。そのときを考えると怖くて仕方がない。
自分が音楽を作れなくなってしまったら、一体何が残るだろう。作曲してないやつの作曲ハウツーなんて何の価値もない。作曲してないやつの作曲コンピなんて参加したくない。忘れてはいけない。私の活動の根っこには「自分が作曲する人間である」という前提があることを。私は作曲をやめてはいけないし、もっと言うと、それをリリースすることもやめてはいけない。現役で私が音楽活動を続けているから、すべてのコンテンツに価値があるのだ。
幸いにも、今も昔と変わらず音楽を作るのは楽しい。タネが生まれなくなる気もしない。高速バスで歌詞を2曲書けて、昔住んでいたマンションの跡地を見ただけで1曲書けた(先週のブログ参照)のだから、私の感性は死んでないはずだ。一生これをやりたい。作曲して、歌って、ライブして、その繰り返しを一生続けていたい。
自分に音楽というアウトプットの場があって良かったと心底思う。私はたぶん人よりも「思うこと/言いたいこと」が多く、しかしその多くは普通に話しても理解されなかったり、批判を浴びてしまうことだという自覚がある。他業種である妻や居酒屋のマスターに話せるような内容でもなく、かといって、そういった想いを文章にしてXに書いたりするのはクソだせえという感覚もある。
そういうときに音楽を作る。言いづらいことや言いたくないこと、本音の部分、心臓の奥にある言葉を絞り出して歌詞にする(たまにブログにはみ出してくるけれど)。数は少なくても共感してくれる人がいればいい。一億人に届けとは思わないけど、一人でも多くの人に届けとは思う。願わくば、私と似た人間にちゃんとリーチしてくれたらいい。理屈屋のくせに気分屋で、社会性が欠如していて、でも誇れるものを胸のうちに秘めて不器用に生きている人に届けばいいと思う。自分の内包する矛盾を自覚しつつも、無様なまま抗い、戦い続ける人へ届けばいいと思う。
そんなことを考えていたら、歌詞が一曲書けました。来週レコーディングします。発表をお楽しみに。