こんにちは!ゼロカラカンパニーの月岡です。
ゼロカラシティにご参加いただきありがとうございます。
このコラムは、ゼロカラシティのメンバー限定コンテンツです。内容はメンバー以外に漏らすことのないようお願いします。
さて、今回のテーマは『コワーキングスペースの思い出』です。
コワーキングスペース
2020年の夏、仙台に越してきたばかりの私は仕事がなかった。
音楽関係の収入は月に10万円もなかったと思う。YouTubeもからっきしだったし、レッスンは月に1~2名申し込みがあればいい方だった。シティはおろか、ゼロカラコンピすらまだこの世になかった。
足りない分の生活費は中高生相手の家庭教師で稼いでいた。学生時代はずっとそうやって暮らしていたものだが、まさか社会人になって再び家庭教師がメイン収入になるとは思わなかった。
今だから正直に言うと、この頃、私は毎日屈辱的な気分に苛まれていた。家庭教師という仕事を貶めているわけではない。「起業したのにバイトで食い繋いでいる自分」が不甲斐なくて仕方なかった。いつか家庭教師を完全に辞めて、ゼロカラカンパニーの収入だけで自立してやると心に強く誓っていた。
起業して1年経って分かったのは、仕事は待っていてもやってこないという当たり前の事実だった。私は仙台で家庭教師以外の仕事はないものかと、あらゆる知り合いを伝った。飲み会にはすべて参加し(金欠の私にはキツかった!)、紹介された人はどんな人でも会ってみた。そうしていたらある日、仲の良いフリーランスの先輩に「おまえはコワーキングスペースに通え。明日俺が通ってたところ紹介してやるから」と言われたので、これに素直に従った。
紹介されたコワーキングスペースは「ソシラボ」という、仙台駅から10分ほど歩いた場所にある小さな個人経営の箱だった。白を基調としたシンプルで清潔感のある内装で、壁の一面は大きなホワイトボードになっていた。入口には誰でも読める会報誌があり、そこには、ソシラボ出身で今はバリバリ働いている経営者の名前とインタビュー記事が掲載されていた。私を連れてきてくれた先輩は、会報誌の1ページ目に堂々と写っていた。他にも仙台で働いていたら名前を聞く人たちがチラホラ写っていた。
受付の村上さんはとても気さくな年配の女性で、新参者の私を快く迎え入れてくれた。私は村上さんに、最近仙台に越してきて知り合いが少ないこと、駆け出しフリーランスだからどんな仕事でも受けること、音楽と教育が得意であることを語った。その日は誰もいなかったので、ホワイトボードを使ってがむしゃらに自己PRをした。
↑その日の村上さんのFacebookの投稿
今思えば、ヤバい奴だったと思う。いきなり押しかけてきて「仕事ください!人紹介してください!」と言ってくる若者はかったるい。先輩の紹介でなければ受け入れてもらえなかったかもしれない。ラッキーだった。なんにせよ、私はソシラボの会員になり、この日から毎日のようにソシラボに足を運んだ。
さて、読者の方はここからの展開を予想できるだろうか。
これが物語なら、ここからは「上がる」ところだ。ソシラボに通うこと数ヶ月。たくさんの知り合いができて、仕事もじゃんじゃんもらえて、人生好転ハッピーエンド!ああやっぱり持つべきものはコワーキングスペース。みんなもコワーキングスペースに行ってみてね!…オチがこれなら気持ちのいい話。
でも、これは物語ではない。ノンフィクションの記憶であり、しかも2020年の冬はコロナで世界が冷え切っていてクリエイティブな仕事がじゃんじゃんもらえるような時期ではなかったし、そもそも家で仕事ができる人間がわざわざ外に出て仕事をすること自体、良く思われていなかった。
ソシラボはいつ行っても閑散としていた。村上さんは私が行くたびに「コロナ前はもっと人がいたんですけどねえ」と寂しそうに笑い、私は遠くの席からマスク越しに「早くコロナが終わるといいですね」と返した。通えば通うほど、ソシラボは関係性の固定された知り合いだけになっていった。
コワーキングスペースに通ったところで、人生に一発逆転はない。分かってはいたものの、東北の冷え込む冬を目前にして相変わらず仕事のない私は焦っていた。ソシラボに通って2ヶ月が経ち、月3000円の会費すら惜しくなるほど懐の冷え込んだ私は何度も「もうソシラボやめようかな」と思った。コワーキングスペース、意味ないなと思った。
でも、私はソシラボをやめなかった。仕事がもらえなくても私はソシラボに通い、毎日のように村上さんと他愛もない世間話をした。オンラインレッスンでも、YouTubeライブでも、静岡にいる家族との電話でも満たされない何かが、ソシラボでは満たされた。一人暮らしの私が唯一生身の人間と話せる空間がソシラボだった。
村上さんは、仙台で出会った人の中で、私のことを認めてくれた初めての人だった。それまでに出会った人たちは、私が金も仕事も実績もないと知るとすぐに離れていった。私が語る将来の展望を笑うものや、少ない金を騙し取ろうとするものもたくさんいた。
でも、村上さんは、私の夢や野望を否定することなく聞いてくれた。私にはそれが心地よかった。コワーキングスペースの受付のおばさん相手に、浅い承認欲求が満たされているだけなのは分かっていた。でも、当時の私にとって、ソシラボは自分がいることを許してくれた唯一の場所だった。
↑ソシラボで働く数年前の私
雪が溶ける頃、ソシラボで初の案件をいただいた。それはソシラボに通う他の人からではなく、村上さんその人からの依頼だった。依頼内容は「高3になった娘の家庭教師をしてほしい」だった。私は一切迷うことなく、その依頼を快諾した。
村上さんの家は街からかなり遠かったため、交通費と時間を節約したいとのことで授業はソシラボで行うことになった。高3の村上さん(娘)は週に1回放課後にソシラボに通い、私は村上さんが見ている前で大きなホワイトボードを使って授業をした。
私の前職は塾講師。あの頃覚えたホワイトボードでの授業をまたやることになるとは、本当に何があるかわからない。人生に活きない経験なんてないのかもしれないと思った。
↑数学の授業。板書は写真に撮って渡していた。
結論から言うと、ソシラボでもらえた仕事は合計3つだった。家庭教師業と、それから今も続けている専門学校の仕事が2つ目。
今でこそ私はYouTube志望者のための学科に所属しているが、ソシラボに来た募集要項は「ITを教えられる先生を探しています」だった。村上さんから「月岡さんってITできましたっけ?」と聞かれ、私は即答で「できますよ!」と嘘をついた。じゃあ月岡さんを推薦しておきますね!と村上さんが言ったので、私は学校に配属されるその日まで、死に物狂いでITの勉強をした。フリーランスあるある「ハッタリで仕事を取る」の典型だ。
とにかく仕事に飢えていた。振られた仕事は全部受けたし、ITの件あたりからは業種も見境なく受けるようになっていた。私はその時期がとてもとても長かった。先の見えない地獄のような日々だった。でも、絶対にゼロカラカンパニーをなんとかしたいという思いだけは消えなかった。
いつからゼロカラカンパニーの収入だけで食えるようになったのか、正確なタイミングは覚えていないけど、がむしゃらに動いて動いて動きまくっていたら、いつのまにか「来月の家賃払えるかなぁ」と思わなくなっていた。家庭教師の仕事はゼロになり、ITはYouTubeに置き換わった。なんでこうなったのかは覚えていないけど、気づいたら私は、なんとかなっていた。
なんとかなった私はソシラボに通わなくなった。正確には、通えなくなった。理由は単純に忙しくなったからだ。私がソシラボに足繁く通っていたのはもはや昔の話で、去年は10回程度、今年はまだ2~3回しか行ってないと思う。村上さんと話さなくても承認欲求は満たされるようになり、無理に人と繋がる必要もなくなったので、私がソシラボに通う意味は完全になくなった。私はすっかり、ソシラボとは無縁の生活を送っていた。
先日、村上さんから久しぶりに連絡が来た。ああ、村上さん!懐かしい!と思った。ソシラボにたまには来てくださいよ的なゆるいDMかなと思ったら、これがソシラボから私への3つ目の仕事だった。
内容は「会報誌で月岡さんの特集を組みたいのでインタビューに答えてくれませんか?」
昨日、インタビューのために久しぶりにソシラボに行ってきた。中に入ると村上さんが当時と変わらない気さくさで迎えてくれた。インタビュアーとカメラマンもいて、その2人もソシラボで知り合った人だったので同窓会のようだった。
コロナ用のパーテーションが取っ払われた円卓に案内され、マスクを外して話した。普通に他の利用者がいたので少し喋りづらかったが、村上さんが「コロナが明けたから人が増えたんですよ」と笑ったので私も笑った。
村上さんは、私の現在をすごく誇らしげに語ってくれた。後半はもはや私より村上さんの方が喋っていた。「私は昔から、月岡さんはきっと成功すると思ってましたよ」と嘘偽りのない表情で言ってくれた。私はまだ全然「成功」した気分ではないんだけどな…と思いながら村上さんの話を聞いていたら、私はふと、大切なことに気づいた。
この人はそもそも、人のことを「仕事があるかないか」とか「実績があるかないか」とか「経験年数がいくらか」とかで見ていない。
昔の私にも、今の私にも、村上さんは同じ態度で接してくれた。そんな人は、村上さんが初めてだった。村上さんは、仙台で出会った人の中で、私のことを認めてくれた初めての人だった。
インタビュー終盤、「月岡さんがソシラボに通って良かったと思うことは何ですか?」という質問に対して、私は迷わず「居場所ができたことです」と答えた。私が仕事がもらえなくてもソシラボに通い続けたのは、ここが大切な居場所だったからだ。そしてそれは今になっても変わらない。
ここは私がいてもいい場所。そして、このインタビューを読むであろう3年前の自分のような人間にとっても、ソシラボが居場所になればいいと思った。
金銭的な利益や、名誉や、人脈なんて増えなくたっていい。居場所ができたというそれ自体に、大きな価値がある。
だから私はソシラボにこれからもたまに顔を出したいし、ゼロカラシティが誰かにとって「居場所」になっているのなら、作って良かったと心から思うのだ。
※ソシラボのインタビュー記事は夏頃公開予定です。ソシラボは1日500円で非会員でも入れますので、仙台に遊びに来ることがあればぜひ足を運んでみてください!