ひとり活動

こんにちは!ゼロカラカンパニーの月岡です。
ゼロカラシティにご参加いただきありがとうございます。

このコラムはメンバー限定コンテンツです。
内容は外部に漏らすことのないようお願いします。

ひとり活動

明日から東京へ行く。数えてみたら今月は計8日間も遠征しており、1ヶ月のおよそ4分の1しか仙台にいなかったらしい。どうりで時が進むのが早いわけだ。あっという間に秋になり、仙台は夜になるともう肌寒い。もうまもなく冬が来るのだろう。

仙台にいない期間は動画を撮ることができない。だから今月は「撮り溜め」をすることが多かった。撮影した素材さえあれば、編集やアップロードはどこにいてもできる。ショート動画のおかげでチャンネル登録者数も伸びていたので、ここで勢いを落としたくなかった。なんとか週4~5更新のペースを保ち、チャンネル登録者数がやっと4万人を突破した。ここまで来るのに5年もかかってしまった。いつも応援してくれる方達にはただ、感謝である。

 

YouTubeは終わりのないマラソンだ。課された任務はただ「走ること」それだけ。とにかく辞めなれけばいい。需要のあるコンテンツを出し続けてさえいれば、箸にも棒にも引っかからないなんてことはあまりない。しかしこの「続ける」というのが難しく、99%の人間は途中で辞めてしまう。私が5年間も続けてこれたのは、人よりちょっと継続力があって、人よりちょっと執念深いからだ。社会生活の中で盲目的に自分を信じるのは危険だが、YouTubeというフィールドではそれくらい自分軸で続けて胸を張っていたほうがいい、と、私は5年の経験から思う。そのほうが健全に楽しく続けられるし、辞めないためなら何をしたっていい。

 

音楽もある程度そういう側面がある。私が10年以上も作曲をして歌っているのは、人よりちょっと継続力があって、人よりちょっと執念深いからだ。それから、根拠のない自信もある。自分の音楽は間違いなく最高で、刺さる層に届きさえすれば絶対に売れると、作曲を始めた18歳の頃から今に至るまでずっと思い続けている。先日のワンマンライブでそれは確信に変わり、目の前のたった50人ばかりのお客さんと共有した時間は人生のどんなシーンより幸福だった。あれを一生やりたい。

もうとっくに音楽に脳を焼かれている。これがない生活に戻りたくない。だから逆に、音楽を辞められたらどんなに楽かとも思う。学生時代に一緒に音楽をやっていた人間が一人残らずいなくなってしまって、私は生き残ったのではなく取り残されたのだと自覚した日を鮮明に覚えている。社会人になって音楽を辞めた友人が30歳になってまたギターを弾き出す。そんな話を最近はよく聞くのだけど、その度に心のうちで、「俺だって気軽に音楽やってみたいよ」と思う。これはすごく良くない感情だけど、でも事実思ってしまう。私はたまに、音楽をやりたくてやっているのか、ただの意地で辞めずにいるだけなのかわからなくなる。それこそYouTubeのように、辞めずに続けていればいつか花開くと思っているのか、あるいは、ここまで辞めずに来ちゃったし今更…と思っているのか。頼むから前者であってくれ、俺の深層心理よ。そう願ってやまないが、実際のところはわからない。

 

幸いにして、やりたいことはまだまだある。それはまだ書けないことだけど、着々と準備を進めている様々だ。1人で音楽活動をすると何かと時間がかかる。マネージャーや事務所がついていればアウトソーシングできる雑務を全部自分一人でやっているのだから当然だ。でも、こんなに売れてないくせにマネージャーをつけるなんて生意気すぎる。今は意地でも一人で活動する時期だと踏ん張るしかない。やりたいことのためには、やりたくないことも一定数、いや、相当数こなさなければならない。

例えば、未知のコミュニティへの参加。これが私は極端に苦手だ。もうすぐ30歳になる男がこんなこと言ってるのヤバすぎると思うけど、私は昔からずーーーっとこれができない。「出来上がったノリ」とか「コミュニティの独自ルール」とかがもう本当に嫌いで、その片鱗が見えた瞬間に心をシャットアウトしてしまう。この夏だけで2回やらかしていて、妻の所属するコミュニティの夏祭りで駆り出されたときと、長利くんの友人の主催するイベントに出演したとき。どちらも最終的に、誰からも遠い場所に座って「俺に話しかけるな、こっちへ来るな」オーラを出してじっと時が過ぎるのを待ってしまった。完全なるバッド状態。ああ、書きながらまた猛省。なんて社会性のない男なんだ。恥ずかしすぎる、この歳でその振る舞いはマジでダメだって。でも何度反省してもまたやっちゃうんだよな……。

 

私が苦手なものは3つある。ひとつめが「ホラー」、ふたつめが「他人の言うことを聞くこと」、みっつめが「自分じゃなくてもいい場所にいること」。ホラーはともかく、後のふたつは完全に私の自意識の強さが原因だ。これは最近やっと気づいたのだけど、私はどうも自意識が強過ぎる。自分は自分、他人は他人、みたいな感覚が、たぶん人より圧倒的に巨大だ。SNSの裏アカを作ったことがあったが、私は月岡彦穂以外としての活動が全然面白くなかったからハマれなかった。それを友人に言ったら少し引かれた。アーティスト名も本名そのままだし。改めて、私は24時間余すところなく自分が自分として自分の意思で行動していたい人間なのだと痛感した。

なんとか自意識を柔らかくできないものか、と最近はよく考えている。自意識が強いのはもう仕方ないとして、社会で最低限うまくやっていけるくらいの柔らかさにはできないものか。例えば妻のコミュニティの夏祭りに参加する数時間くらいは、嘘でもいいからニコニコして神輿を担ぎ、みんなと一緒に掛け声をあげられないものか。そのほうが妻に迷惑もかからないし、あとたぶん自分も楽しい。頭では当然わかっている。あとは手足と口と顔の筋肉を動かすだけ。なぜそんな簡単なことができないのか。自分で自分の理解に苦しむ。この文章全体もなんだか中学生みたいで恥ずかしい。

 

次に似たような機会があれば、なんとか声だけでも出してみたい。

PAGE TOP