VRイベントとリアルイベント / 多様性の本当の怖さ

こんにちは!ゼロカラカンパニーの月岡です。
ゼロカラシティにご参加いただきありがとうございます。

このコラムは、ゼロカラシティのメンバー限定コンテンツです。内容はメンバー以外に漏らすことのないようお願いします。

 

さて、今回のテーマは『VRイベントとリアルイベント / 多様性の本当の怖さ』です。

 

VRとリアル

 

世界一好きなバンド「エルレガーデン」のギタリスト、生形真一さんに会ってきた。

詳細は上の動画で話したので割愛するが、本当に素晴らしい体験だった。たぶん私は、この日を一生忘れないんだろうな。

 

憧れの人は、たいてい画面の中にいる。だから実際に目の当たりにしても、私はその人がそこに「いる」という実感が湧かない。数メートル先に本物がいても、なぜか画面越しで見ているような感覚になる。

視界いっぱいの画面を見ているような感覚。やったことないけどVRってこんな感じなんだろうか?

 

いつかVRが発達して、もっと気軽に(ゴツい眼鏡を使わず、スマホでYouTubeを見るような感じで)使えるようになったら、私はリアルとVRを区別できないかもしれない。今でさえリアルをVR感覚で見ているので、逆にVRがリアルさながらになったら、私はもう、ライブやイベントも全部VRでいいやとなるかもしれない。

 

小さなイベント、たとえば、オフ会やM3のようなものは、リアルこそに意味があると思う。画面の向こうの「あの人」の動く姿を生で見て、生声を聞いて、会話したり握手したり写真を撮ったり、「1対1」の体験ができる。

でも一方で、バンドのアリーナライブがリアルである意味を問われても、私は即答できない。前の席以外は演者の姿をほぼモニターで見ており、声はすべて加工された状態で届く。1対1の体験などもちろんなく、すべては「1対多」だ。

例えば、BUMP OF CHICKENのライブをVRに置き換えることは不可能だろうか?視界いっぱいに広がるVR空間で「席」に座って、アリーナの音を高精度で再現したヘッドホンをつけたら、それはもはや現地と同質な体験と言えないだろうか?

…あ、ライブビューイングがそれに近いのか。映画館でライブをみんなで見るアレ。未来で技術が発達したら、アレが自宅でできるようになるというだけか。

 

そう考えると、ファンが一方的にコンテンツを享受するだけの「1対多」のライブは、テクノロジーの進歩とともにVRライブビューイングも併用するのが当たり前になっていくのかもしれない。そうすると会場の「キャパ」の概念がなくなり、料金の高いデカ箱で演るメリットは少なくなる。演者のテンションを上げるために小箱に最小限の観客だけ入れて、リアル視聴100人、VR視聴10,000人みたいな形式があたりまえになる未来が来ても全然おかしくない。

その未来では「デカ箱ほど偉い」というヒエラルキーがなくなり、新しいヒエラルキーが誕生する。おそらくそれは、従来の体制を快く思わない人たちによるカウンター的なものになるはずだ。

それは我々のような零細インターネットミュージシャンにとって、今よりも優しい世界になる。大手プロダクションに所属するメリットのひとつに「デカ箱でライブができること」があったが、誰でも実質的なビッグライブができるとなれば、インターネットでの発信は「見つかりたい/拾われたい」ではなく「ここで有名になりさえすればOK」にシフトしていく。YouTubeやTikTokはさらに盛り上がるだろう。

そして、そこでゼロカラコンピが文化になれば私の夢が叶う。「インターネットで曲を出すならまずはゼロカラコンピでしょ」その未来に向けて、地道にコツコツと今日も許さず生きよう。

 

多様性の本当の怖さ

イベントは20時に終了した。

夜行バスまで4時間もある。特にやることもなかったので、とりあえずイベント会場(原宿)から新宿まで歩くことにした。

 

途中、コンビニに寄って飲み物を吟味していたら、隣に若い日本人カップルがやってきた。10代後半から20代前半くらいか。金髪の女性は薄いタンクトップを着ており、こんがり焼けた肌のタトゥーの多さに目が行った。南国っぽい花や紋様、そして、おそらくは彼氏のであろう男性の名前が彫られていた。

女性が「ジュース奢ってやるよ」と言うと、男性は「ジュースはいらない。代わりにジャンプ買ってよ」と返した。その手にはすでにジャンプが握られており、それを女性に、ん、といった感じで無造作に差し出していた。

その瞬間、女性が突然激昂した。「はぁ?ジャンプなんて買うわけねーだろ」「ジャンプだけは無理」「信じられない」「まじキモい」と喚きながら、男性の持つジャンプを手持ちのジュースで引っ叩いていた。おいおい、それ、両方とも売り物だぞ。

どうやら女性はジャンプを買いたくないらしい。というか、ジャンプのことが嫌いらしかった。ジャンプ嫌いってことある?と私が驚いていると、女性から衝撃のひと言が発せられた。

 

 

「ウチ、本とか読んだことも買ったこともねーから」

 

 

言葉を意味として理解するのに少し時間がかかった。

 

え、本読んだことないの?

 

…どうやって???

 

人間は歳を重ねれば重ねるほど、自分と近い偏差値の集団に入っていく。特に学生時代はそういうふうにできている。

私は幸いにも勉強は得意だったので、大学に進学すると周りには知的好奇心の高い人間が集まっていた。みな例外なく本が好きで、それぞれに得意なジャンルの教養があり、それで朝まで飲み明かした日が数えきれないほどあった。

そんな環境で育った私は、本を読んだことがない人間を知らなかった。人はみな本を読むものだと思っていた。たとえ難しい本が読めなくても、漫画や雑誌くらいは全国民が通っているものだろうと、そう思って生きてきた。

 

だから、目の前の女性の「ウチ、本とか読んだことも買ったこともねーから」という台詞は、私の常識を覆すものだった。

 

…そんな人いるんだ。

 

念の為断っておくと、これは学歴差別とかそういう話じゃなくて、「多様性の本当の怖さ」を感じたという話だ。

「世界には、本を読む人と読まない人がいる」…改めて文章にすれば当たり前のことでも、28年間前者としか接してこなかった私は、後者の存在をいつのまにか抹消していた。しかも意識の外で、だ。本を読まない人がいるなんて、そもそも考えもしなかった。

「世の中にはいろんな人がいる。それが多様性だ。これからは多様性を認めていかねばならない」と私は口で言っていただけで、その多様さを本当の意味で理解してはいなかった。本当の多様さとは、前提や常識や固定観念を覆したところにあったのだ。

 

 

 

ところで、ゼロカラコンピは応募数が100を超えたあたりから、不備があってキャンセルになる人が現れ出した。

一番多いのは「ギガファイル便が使えない」というケース。世の中には「wavファイルをギガファイル便に入れて送る」ことが難しい人がいる。

空っぽのギガファイル便が届いたり、クラッシュデータが届いたり、サウンドクラウドのリンクを送ってくる人もいる。「ファイルを再送してください」とメールを送っても、その後正しい形で曲が届くことは稀で、大抵はそのままフェードアウトしていく。

 

私は長らく、そういう人達が何に困っているのかわからなかった。だって、ギガファイル便の使い方がわからないなら、「ギガファイル便 使い方」と検索すればいいではないか。

ためしにみんなも今検索してみてほしい。検索トップにそれはそれはわかりやすい解決策が出てくる。それを読んで指示通りにすれば、難なくゼロカラコンピの応募はできるはずだ。実際、9割以上の応募者はギガファイル便を一発で正しく使えている。

しかし、先述の「本読まない女子」の登場によって、私の頭が固定観念でガチガチになっていることが判明した。

つまり、

 

・人はわからないことがあったら検索する
・人は文章を読んで理解できる

 

という2点すらも、常識ではないということだ。

本を読まない人がいるのと同じように、検索しない人や、文章を読まない人だっているはずだ。それは、朝ごはんを食べない人や、コーヒーにミルクを入れない人や、歯医者をサボらない人がいるように、何も不思議なことではない。

 

しかし、ここにはひとつの疑問が生じる。それは「検索もできず文章も読めない人が、どうやってDTMで作曲をしているのだろう」ということだ。

検索ができなければ、DTMの使い方を調べることができない。仮にYouTubeのレコメンド機能などで、ノー検索でDTMの使い方がわかったとしても、そもそも文章が正しく読めなければ使い方を実行することができない。

 

…とここまで書いて、疑問は自己解決した。

 

ああそうか、文章は読めなくても動画なら……。

 

ゼロカラコンピの応募の流れを動画にしたほうがいいのかもしれない。あと、TikTokってすごい。そんな気づきで今日は締めようと思う。

PAGE TOP