ショート動画の勢いがすごすぎる / Twitterに対して思うこと

こんにちは!ゼロカラカンパニーの月岡です。
ゼロカラシティにご参加いただきありがとうございます。

このコラムは、ゼロカラシティのメンバー限定コンテンツです。内容はメンバー以外に漏らすことのないようお願いします。

 

さて、今回のテーマは『ショート動画の勢いがすごすぎる / Twitterに対して思うこと』です。

 

ショート動画の勢いがすごすぎる

今日はショート動画の撮影をした。最近、YouTubeがより一層ショートに力を入れている印象がある。

UIが変わってショートを2段構えで見せてくるようになったり、露出が明らかに増えている。というか、どんどん増え続けている。

その結果、私もとうとうショートの方が再生数が多くなってきた。

 

ショートからのチャンネル登録も増えてきた。つい最近までショートはチャンネル登録にはつながりにくかったのだけど、今は全然そんなことない。むしろショートで伸ばすクリエイターが多い印象だ。例えば、今年の頭に登録者3,000人だった友人のチャンネルは、ショートでバズって今や30,000人の登録者を抱えている。…ショート効果、恐るべし。

YouTubeを伸ばしていくためには、こういう波を柔軟に乗りこなすのが重要だと思う。つい「ショートなんて」と言いたくなってしまうのは頭の硬い証拠。私はそうはなりたくないので、ショート動画にも果敢にチャレンジしていきたいと思っている。もちろん長尺動画をやめるわけではなく、バランスよく、リスナーの反応を見ながらにはなるけれど。

 

実際、ショートの再生数が長尺動画に匹敵するのであれば、作り手としてはこれほど美味しいことはない。例えばゼロカラカンパニーの長尺動画は作るのにトータルで3〜4時間ほどかかるのに対し、ショートは長く見積もっても2時間といったところだ。約半分のコストで同じ結果が得られるのであれば、絶対に後者をえらぶ。最近は動画のネタを思いついたときに、「これショートにできないかな?」とまずは考えるようにしている。(そしてなんだかんだで結構ショートにできる)

 

とはいえ、DTM系YouTubeは動画時間を短くすることはできても「縦画面」という条件に足を引っぱられる。なぜなら、DTMが横画面の趣味だからだ。少なくとも私の観測範囲に「DAWの画面収録を使ってバズったショートクリエイター」はいない。DTMは縦画面との食い合わせが悪いのだ。

このままショートが盛り上がり続けた場合、今後は「DAWが縦画面(スマホ)に合わせてくる」あるいは「DAWの解説は横画面のまま、縦ならではの新しい動画コンテンツが生まれる」のどちらかの未来が来ると思う。どっちも面白そうだから私はどっちでもいい。スマホでパソコン並みの作曲ができるならそうなってほしいし、そうきたか!と思わせられる縦画面コンテンツも見てみたい…というか、私が作ってみたい。

 

最近感心したのは、縦画面を2分割して上部に左手を、下部に右手を映して演奏しているギターの演奏動画だ。私はギター演奏は左手も右手も同じくらい見たいのだが、ほとんどの横画面ギター動画は「左寄り」「右寄り」のどちらかで撮影されていたので、同じ情報量で両者を映すそのアイデアには感心した。

感動したけど、なんとなく、正解はこれじゃないような気もした。画面を2分割して別の映像を映すのが縦時代のベスト、というのは無理があると思うからだ。「縦画面をいっぱいに使ったコンテンツ」にはきっとまだ見ぬベストアンサーが眠っており、音楽系のYouTuberはまだ誰も辿り着けてはいないと思う。(でも、ギタリストのmakotoさんがギターを縦にかまえておきながら顔を一番大きく映したのは発明だと思う)

 

音楽系のほとんどの縦動画はまだまだ「横動画でも成立するもの」ばかりで、本当の意味で縦動画が完成したと私は思っていない。もちろん私のショート動画もそうだ。おそらくベストアンサーの条件は「縦画面ならでは」かつ「シリーズ化できる」のが必要条件。…誰が足跡をつけるのか。それが自分だったら最高だし、他人だったとしても遠慮なく模倣させてもらおう。DTMショート動画のパイオニアは誰だ?

Twitterに対して思うこと

Twitterが大変なことになって、みんなが「Threads」という新しいSNSに登録した。すでにユーザーは1億人以上いるらしい。私も仕事柄こういうものは無視できないので登録した。

しばらく使ってみた結果、「Twitterじゃん」と思った。いやこれ、完全にTwitterじゃないですか?「Twitterにできることの利便性を全部1.1倍にしました」みたいなSNSだ。

TwitterはThreadsを訴訟するらしく、まぁそうだろうな、と思った。そして、いちユーザーとしてThreadsに熱狂することはなさそうだなとも思った。なぜならThreadsは今のところTwitterだから。私はTwitterに熱狂していない。

 

…というか、正直に言うと、私、最近Twitterやめようかなと悩んでいた。

今もまだ悩んでいる。やめるかもしれないし、やめないかもしれない。

 

Twitterで享受できる幸福と不幸の総量は、はたしてどちらが多いのだろう。最近はそんなことを考えるようになった。

 

【メリット】
・ゼロカラコンピの盛り上がりを見てニコニコできる
・最新の情報をキャッチアップできる

【デメリット】
・時間を取られる
・見たくない情報が入ってくる(誰が炎上したとか、誰がムカついたとか)

 

私が感じるのはこんなところだが、メリット2点に関しては、必ずしもTwitterである必要はない気がしている。ゼロカラコンピの盛り上がりは今やDiscordで見られるし、前夜祭のチャット欄だって相当見ていて嬉しいものだ。最新の情報はいくつかのWebサイトやYouTubeの更新を見れば十分だし、「Twitterにしかない情報」なんてほとんどないと思っている。

私としては、もはやデメリットの方が目立つように思えてならない。朝起きてベッドでTwitterをチェックするのが数年間も日課になっているが、あの時間は果たして私の人生に必要不可欠と言えるだろうか?私のタイムラインはほとんどがDTM情報発信者とゼロカラコンピ関係者で埋め尽くされており、書いてある内容はどれもDiscordやYouTubeで見られるようなものなのだ。それらの情報に価値がないとは言わないが、朝イチでTwitterを開いて眠い目をこすりながら見るほどのものではない。

それに、Twitterで人が人にギャアギャア入っているのを見るのは疲れる。最近だとクランとリオンさんに粘着質な嫌がらせをする人たちが現れたが、あの人たちを見ているだけで心のライフポイントが減っていく感じがした。瀧沢ガレソはミュートしているし、バズっているネガティブツイートなどはどうしても「ウッ」と思ってしまう。最近のバズツイートは「私はAだと思っているのにBだと思っている人達がいる。世界にもっとA派が増えたらいいのに」という構造ばかりでどうにも好きになれない。←こういうツイートが多い

 

昔は友人のアップする写真や文章を見るのが楽しかった。でも彼らはもうTwitterを更新していない。タイムラインに最後に友人が流れてきたのがいつだったか思い出せない。今やTwitterは「友人」を見るものではなく「情報」を見るものになり、私は前者の方が好きだった。それに薄々気づいてきた。

私は当然ゼロカラシティは好きだが、それはきっと知っている人たちが集まっているからだと思う。知っている人の投稿を見るのは楽しい。逆に、知らない人の情報ばかりが入ってくるタイムラインは楽しくない。つまり、TwitterはもはやNot for meなのだ。私にはYouTubeとゼロカラシティがあれば十分なのだろう。

 

…とはいえ、突然発作のようにTwitterをやめるわけにはいかない。私が急にアカウントを消したら何人かは「おや?」と思うだろうし、それに企業案件を受けるときにもTwitterは「あって当然」のインフルエンス証明書になっている。もはや仕事の関係上「消せない」のだ、私は、Twitterを。

 

ベストな解決策は「アカウントは残す、タイムラインは見ない」ことだというのはわかっている。でも…でもさぁ…それができたら苦労しないんだよなぁ…。

もう10年以上やっているので、もはや、Twitterを見ようと思わずに無意識でTwitterを開くことがある。たぶんだけど、このブログを書いている間にも1~2回はタイムラインを見たと思う。開いた記憶もなければ、何も見たかも思い出せないのに、だ。

やはり根本的な問題解決のためには「アカウントを消してアプリをアンインストールする」しかないのだろう。

 

悩ましい。非常に悩ましい。そして悔しい。生活の一部になりやがって。10年かけて脳のつくりを変えられてしまった。

みなさんはTwitterとの付き合い方についてどう思いますか?いろいろな意見を聞かせてください…。悩んでます。

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