『良いものができたら出します』の罠

こんにちは!ゼロカラカンパニーの月岡です。
ゼロカラシティにご参加いただきありがとうございます。

このコラムは、ゼロカラシティのメンバー限定コンテンツです。内容はメンバー以外に漏らすことのないようお願いします。

 

さて、今回のテーマは「『良いものができたら出します』の罠」です。

 

音楽界隈でよく聞くセリフ

音楽を作っていれば、誰もが一度は言ったことがあるセリフ。

良いものができたら出します!

「いつ新曲出すの?」「次は何をするの?」と言った質問に対して、このように答えてしまった経験のある人は、少なくないと思います。

これは何も音楽に限った話ではなく、YouTubeで「次の(あるいは一本目の)動画はいつ?」という質問に対して、同じ返答をしたことがある人もいるのではないでしょうか?

「満足いく出来になったら出します!」
「編集をもっと勉強したら出します!」
「○○(人名)に良いと言ってもらえたら出します!」

などなど、作品を世の中に出すことを先延ばしにできる台詞はたくさんあります。

 

さて、この記事の結論としては、

「『良いものができたら出します』とは絶対に言うな」

です。

 

その理由を、これから書いていきます。

 

「満足」って何?

「良いものができたら出します!」と言ってしまう人の心理としては、大きく以下の2つが考えられます。

・今のクオリティに満足できておらず、自分が納得してから出したい
・本当は出したくないので、出さなくて済むように自己弁護をしている

 

後者は論外として、前者はなぜか音楽業界で「美徳」とされがちです。

「そうだよね。俺たちはアーティストだから、自分の魂が納得していないものは出せないよね。」

 

と、精神論で肯定されることが多い「満足するまで出さない」理論ですが、私は今回、ここにメスを入れていきます。

 

 

議論の前に、まず、「満足」をしっかりと定義する必要があります。

「満足」とは「満ち足りる」という意味ですが、大切なのはそこではなく、“誰が”満ち足りているのか、という点です。

 

「満足するまで出さない」という場合の「満足」の対象は、間違いなく「自分」です。「(自分が)満足するまで出さない」という意味ですね。

これが今まで肯定され続けてきた精神論ですが、果たして本当に、この精神論は適切であると言えるでしょうか?

結論、この精神論が適切か否かは、このアーティストの目的によります。

・目的が「素晴らしい作品を作ること」ならば「適切」
・目的が「人に評価されること」ならば「不適切」

であると私は考えます。

 

目的によって考え方は変わる

「素晴らしい作品を作ること」を目標にしている人は、もっと厳密に言えば「(自分が)素晴らしい(と思える)作品を作ること」が目標でしょうから、その場合は、何年でも何十年でも粘れば良いと思います。

死ぬまでに一曲、自分が最高だと思える楽曲を作ってください。(いま「そんなの嫌だけどな」と思ったあなたは、考え方が後者の人間です)。

 

さて、後者である「人に評価されること」を目標にしている人。この場合、満足させるべき対象は「自分」ではなく「相手(リスナー)」になります。

 

みなさん、ここで一度考えてみてください。

あなたが牛丼屋で牛丼を注文したとします。食券を買って、つゆだくで、とひとこと添えて店員に渡しました。このときあなたが期待しているのは「3分後につゆだくの牛丼を食べること」です。

しかし、3分待っても10分待っても、牛丼は出てきません。おかしいなと思ったあなたが調理場を覗き込むと、料理人は牛肉を一枚一枚、花びらのようにこんもりと盛り付けているではありませんか!

あなたは愕然とします。料理人は満足げな表情で牛肉を飾り付けています。あなたはたまらず料理人に声をかけます。そのときなんと声をかけますか?

 

「綺麗に盛り付けてくれてありがとう!」ですか?

 

私なら「早くこっちに寄越してくれ!」です。

 

料理人がよかれと思ってやった牛丼の飾り付けは、食べる側からしたらどうでもいいことです。料理人は「この牛肉をあと2cm右にズラすか…」「紅生姜は一本ずつピンセットでつまんでまっすぐ並べよう…」などと奮闘していますが、これがただの自己満足であることは、誰の目から見ても明らかでしょう。

この料理人は、人から評価はされません。おそらくクレームを集めてクビになるでしょう。

しかし解雇の間際、この料理人は言うのです。「なんでだ!俺は自分が一番いいと思える作品を作っていたのに!」

 

…なんとなく、私の言いたいことが伝わってきましたか?

 

とはいえ、ここで論じているのは昼食ではなく音楽ですから、何も「こだわりを捨てて機械になれ」と言っているわけではありません。「最低限のこだわりだけ残して、あとは早く客に出せ」と言っているのです。

 

作品の完成度が60%か80%か100%かなんて、リスナーには分かりません。

「俺の中では60%の完成度なんだけど…」と出した曲が高く評価されることも、「100%の完成度の曲を聴け〜!」と出した曲が全然評価されないことも、ザラにあります。…というかほとんどそうです。

 

私は今までに、サブスク未発表の曲も含めると、100曲〜200曲くらいを世の中に出してきましたが(作ってきた、ではなく、出してきた、です)、自分の中での評価とリスナーの評価が狙い通り高いところで合致したのは「Everytime I See You」という一曲のみです。この曲は以外はすべて、「もっと評価されるはずなのに!」か「え?この曲みんな好きなの?」のどちらかです。

 

また、少し辛口なことを言いますが、ゼロカラコンピの応募曲はよく手直しをして再提出されますが、正直「変わったな」とは気付いても「良くなったな」と思うことはほとんどありません。

いや、「変わったな」と思うことすら、実はほとんどないかもしれません。手直しをした本人からしたら「こんなに変えたのに!」かもしれませんが、聞く側にはその微々たる差なんて分かりません。

 

まとめると、あなたが「人に評価されたい」と思って音楽を作っているのなら、80点の曲を100点にする作業は、無駄です。

リスナーの評価は変わらないので、80点で出してください。

 

そのプラス20点を稼ぐよりも、80点を量産できるようになってください。そしてたまに、偶発的にでも、自分もリスナーも100点だと思える作品を作れたら最高じゃないですか。

 

もちろん例外もある

さて、ここまで長々と書いてきましたが、この理論が通用しない人種が、実は音楽業界にはいます。それも、たくさん。

それは「すでに十分売れている人」です。こういった大物ミュージシャンは、潤沢な資金とファンを持っているので、多少世間を待たせたとしても全く問題ありません。それどころか「○○年ぶり待望の新作!」なんて言われて持て囃されたりもします。

 

くれぐれも言いますが、こういう人たちのブランディングを絶対に真似してはいけません。私たちにできるのは「数打って目立つこと」です。大物でもないくせに、待たせないでください。彼らと同じ戦い方をして勝てるわけがないのですから。

アブリルラヴィーンの3年振りのアルバムはワクワクしましたが、知らないおじさんの3年振りのアルバムなんてどうでもいいのです。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?

 

もしあなたが「人から評価されたい」と思って音楽を作っているのなら、もう80点を100点にする無駄な作業はやめましょう。80点の曲を、当たるまでたくさん聴かせてください。

 

100点を目指して作曲していたら、私だって、毎月1曲リリースなんてできるわけありません。今年の入ってから私が出した楽曲は、すべて自分の中では80点前後です。

でも、みなさん、「ああ、月岡は80点の音楽を出しているな」と思いましたか?…多分そんなこと、気づけるはずもないと思います。

 

私の80点の中に、みなさんにとっての100点が1曲でもあれば嬉しいです。

 

では、来週もお楽しみに!

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