昼にジムに行く / ゼロカラコンピの展望と変わらないこと

こんにちは!ゼロカラカンパニーの月岡です。
ゼロカラシティにご参加いただきありがとうございます。

このコラムは、ゼロカラシティのメンバー限定コンテンツです。内容はメンバー以外に漏らすことのないようお願いします。

 

さて、今回のテーマは『昼にジムに行く / ゼロカラコンピの展望と変わらないこと』です。

 

久々の昼更新

水曜更新のこのブログは、ここしばらく夕方から夜の時間帯に出していた。

理由は、単純に日中が忙しかったからだ。昼過ぎまでびっしり予定が入ることが多く、ブログを書く時間が後ろ倒しになっていた。ブログは水曜日に更新する約束で、時間の指定はしていない。だからその日のToDoリストの中で優先順位がどうしても下がってしまうのだ。

最近はもう、水曜のがんばったご褒美としてブログが機能していた。仕事終わったらブログ書けるぞ、みたいな。カラクリラジオの最新回で、昔ブログを書いていた話をしたが、今も昔も私は文章を書くこと自体が好きなのだ。脳のキャッシュが削除されてクリーンな状態になれる。ブログには小さなヒーリング効果があると思う。

今日は久しぶりに早い時間にブログを書いている。今週からは少しスケジュールに余裕があり(ゼロカラコンピの曲を聴き終わったことが大きい)、自由な時間が増えた。クリエイティブな作業は午前中にやりたいので、できるだけレッスンやミーティングの類は午後に回し、こうしてブログを書いたり曲を書いたりYouTubeを撮ったりしている。

私はコンテンツを作っている時間が好きだ。すごく「生きてる」感じがする。

 

昼にジムに行く

昨日は夜に予定が集中していたので、ふと思い立って正午にジムへ行った。

いつもの夜メン達は誰もおらず、マッチョな大学生と健康そうなお爺さんの2人だけが、広い空間を悠々と使って黙々とトレーニングに勤しんでいた。窓から降り注ぐ陽の光が新鮮だった。

ジムが爽やかだと思ったのは昨日が初めてかもしれない。夜の筋トレはどうしても「鍛錬」感が強くなる。色で言うと黒や赤のイメージ。音で言うとゴリゴリ。一方で、昼のジムは水色や黄緑色だった。音で言うとキビキビ。音楽もいつもより爽やかなものをチョイスし、とても気持ちのいいトレーニングができた。

 

ジムから出たら外が明るくて笑ってしまった。と同時に、なんだかすごく懐かしい気持ちになった。

フリーランスになりたての頃、音楽の仕事がなく、ほぼ家庭教師として生計を立てていた時期があった。授業は午後から始まって夜遅く終わることが多かったので、ジムには午前中に通っていた。

私が通っていた埼玉のジムは、昼の時間帯は99%をお爺さんが占領しており、ジムというよりは健康ランドといったほうが似合う雰囲気だった。若い私は明らかに浮いていた。会社を辞めて社会のレールからはみ出した自分と、ジムで老人に囲まれた異分子の自分がリンクしていた。自分の人生はこの先どうなっていくんだろう、ちゃんと音楽を仕事にできるだろうか……と悶々としていたのを、昨日久しぶりに思い出した。

ジムから出て太陽を浴びながら、なんとかなってるなぁ……としみじみ思った。私はまだまだ道半ばだが、凡人は凡人なりに努力してなんとか飯を食えるくらいには、音楽の懐は広かった。いつ振り落とされるかわからないけど、それまでは必死に喰らいついて行きたいものだ。長寿選手になりたいので、こうして体も鍛えているし。

 

昼にジムに行くと、ジムの後の時間がとても長い。なんせ一日はまだ半分も残っている。筋トレして腹が減ったので、家に帰ってご飯をチンして、目玉焼きと鶏ハムと作り置きのカレーをかけてYouTubeを見ながら食べた。幸せだなと思った。運動して飯食ってこれからまだまだ働ける。すごく「生きてる」感じがする。

 

ゼロカラコンピの展望と変わらないこと

今日は少し余裕のある日だ。

決まった予定は14時からのミーティングと17時からのレッスンのみ。他の時間はゼロカラコンピの準備にあてるつもりだ。

 

前夜祭のスライドをせっせと作っている。新企画の準備も進めている。詳しくは本番まで秘密だが、今まで光が当たらなかった人にも光が当たるようにしようとしている。

ゼロカラコンピにはグランプリ制度があり、優れたアーティストは表彰させていただいている。この制度はゼロカラコンピ文化の発展のためにとても良いと思っている一方で、賞がとれない人たちが離れてしまうのを防ぎたいという思いもある。「優れたアーティストには大きな光を、発展途上のアーティストには小さな光を」というのが私の理想だ。

参加者数はいよいよ200人を超えた。20人くらいでやっていた頃の10倍。同じやり方でうまく行くはずがない。柔軟にかつ大胆に体制を変えることは絶対に必要だが、一方で、本質を見失ってはいけないなとも強く思う。ゼロカラコンピの本質とは「定期演奏会」であり、決してオーディションではない。誰でも参加できて、参加者同士が楽しく交流できる場所。これがゼロカラコンピの目指す場所であり、理念だ。ここを変えるつもりはない。だからゼロカラコンピでは選考を行なっていない。

 

とはいえ、優秀なアーティストにはそれ相応の光があたるべきだと私は考えている。ゼロカラコンピは定期演奏会だが「みんな平等に扱います」と言ったことはない。なぜなら、音楽には勝ち負けはなくても優劣はあるからだ。自分の作ってきた音楽にもいいものとよくないものがある。好きな音楽と好きになれない音楽がある。これは当然のことで、全部一位の芸術なんてつまらないと思う。似たような話で、小学校のかけっこの本質は順位付けではないが、だからと言って順位を付けないのは違うと思う。頑張った人や才能のある人は賞賛され、見返りを受けるべきだ。

だから、グランプリ制度を続けている。まだ詳しくは言えないが、その先も近日中に発表する予定だ。優秀なアーティストは讃え、大きなチャンスを与えたい。発展途上のアーティストには、何か小さくても「きっかけ」を与えたい。そんな想いが私にはある。

 

かつて自分も「きっかけ」が欲しかった。昔の自分のような人間は今も山ほどいるはずで、ゼロカラシティのチャットや会話を見ているとその想いが一層強固になる。誰しも「きっかけ」を求めている。ゼロカラコンピという定期演奏会がその一助になれば、これほど光栄なことはないと思う。大学の音楽サークルには「うちのサークルのナンバーワン」みたいな人間がいたはずだ。私はスターを生み出したい。いや、スターが生まれうる土壌を作りたい。

そんな仕事ができている。ゼロカラコンピは参加者も増えてDTMerから期待されている。本当にやりがいしかない。すごく「生きてる」感じがする。

 

ちょっと短いけど今日はここまで。では、ジムに行ってきます!

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