こんにちは!ゼロカラカンパニーの月岡です。
ゼロカラシティにご参加いただきありがとうございます。
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さて、今回のテーマは『成功したいなら叩かれろ!』です。
白か黒か
「万引きは悪である。」
あけましておめでとうございます。情報量ゼロの文字列を新年早々読んでいただきありがとうございます。
とはいえ、万引きは悪です。これに異論のある人はいないでしょう。
一方で、
「100円のチョコを100円払って買うのは、悪ではない。」
これに異論のある人もいないでしょう。
あ、まだ記事を閉じないでくださいね。ここから盛り上がっていくので。
では、これはどうでしょう?
「100円のチョコを1個タダでもらって、チョコを食べたことがない人にあげる」
白でしょうか?黒でしょうか?
直感的には「黒」っぽくないですか?
まず、店と運び屋に利益がないですよね。店は100円分の損をして、運び屋はいたずらに時間を浪費しています。これで喜ぶのは「チョコを最終的にもらった人」だけです。
なので、これはそもそも白黒以前に、ただただ意味のない悪質な行為ですね。
では、少し条件を加えて、次のようにするとどうでしょう?
「100円のチョコを1個タダでもらって、“今後店に来てくれそうな”チョコを食べたことがない人にあげる」
“今後店に来てくれそうな”が加わるだけで、新しく見えてくるものがありませんか?
店は運び屋に、100円のチョコを1個渡します。運び屋は店に来てくれそうな人物を厳選し、そのチョコをタダで渡します。
「これ、チョコって言うんだよ。すごく美味しいから食べてみて。歩いて1分の○○商店で買えるよ。」
と、言い残して。
チョコを初めて食べた人は感動するかもしれません。後日、素直に○○商店に足を運び、チョコを3つ買うかもしれません。
すると、店は「売れるはずのチョコ1個」を犠牲に「売れなかったはずのチョコ3個」を売っていることになります。
つまり、実質100円で300円を買っているのです(もちろん厳密には仕入れ値や期待値など複雑な計算が絡んできますので、この例は簡易なモデルケースとして理解してください)。
さて、店は100円で300円を買えたので、200円の得をしています。チョコを変えた人も、大好きなチョコが買えたので得をしています。
しかし、まだ得をしていない人が1人います。
そうです。運び屋です。
では、運び屋も得をするためには、どのような条件を付け加えれば良いでしょうか?
私ならこうします。
「100円のチョコを1個タダでもらって、今後店に来てくれそうなチョコを食べたことがない人にあげる。その人が店でチョコを買ったら、運び屋は店から1個につき20円をもらう」
これが、全員が得をするモデルです。
・お店……新規顧客を取り込める
・客……素敵な商品と出会える
・運び屋……頑張った分だけ報酬(お金)がもらえる
先ほどの例で言うと、客が3個チョコを買ったことで店には300円の売り上げが出ています。そのために支払ったコストは100円なので、200円の利益が出ています。そして、チョコが3個売れたので運び屋は60円をお店からもらいます。運び屋は0円のコストで60円を手にしたので、60円が利益となります。
モデルとして一般化する
もう勘の良い方は気づいているかもしれませんが、これは「アフィリエイト」のモデルです。
アフィリエイトとは、Amazonを筆頭に各メーカーがこぞって取り組む、SNS時代を代表するビジネスモデルです。
ピンときていない方のために、アフィリエイトの具体例を挙げます。
例えば、私が新しい充電器を買いたいとしましょう。
1、私はYouTubeで「充電器 おすすめ」と検索して動画を何本か見る
2、いいなと思った充電器があれば、概要欄のリンクから販売ページに飛んで充電器を購入する
3、充電器メーカーは充電器1個分の売り上げが出る←HAPPY!!
4、私に充電器を買わせたYouTuberは、その売り上げの一部を報酬として受け取る←HAPPY!!
5、私は欲しかった充電器を買える←HAPPY!!
……どうでしょうか?
誰も損をしていないどころか、みんなHAPPY!!になっています。
なんにも珍しくないこと
アフィリエイトというモデルは、実は難しくもなければ新しくもありません。
昔からある「広告業」のひとつです。
そもそも広告業とは
影響力のある組織がメーカーに依頼されて人々に商品やサービスを紹介し、報酬をもらう
というモデルです。
広告業を営む有名な会社には「電通」「博報堂」などがありますが、SNS全盛の現代において、ときに個人の影響力が組織を凌駕することがあり、また、メーカーからしても会社より個人に依頼した方が圧倒的にコストが安く済むため、合理的な「アフィリエイト」というモデルが生まれました。
さて、みなさんお待たせしました。ここからがおもしろい話です。
この「アフィリエイト」というモデルは、最初ものすごく嫌われていました。
……なぜだと思いますか?
正解は「なんか嫌だから」です。
「なんか嫌」という人間感情
黎明期、アフィリエイター(紹介する人)は「アフィカス」と揶揄され石を投げられました。
メーカーも自社商品をアフィリエイトで宣伝していることがバレるのは都合の悪いことと捉えており、極力公にはしていませんでした(なお、その後の法律改正でアフィリエイト広告の存在を隠す、いわゆるステマは禁止されました)。
なぜ、当時のアフィリエイトはここまで叩かれていたのでしょうか?
そこには、大きく2つの要因があったと私は考えています。
1、ほとんどの人がビジネスモデルを理解していなかったこと
2、人間感情的にグレーであったこと
1に関しては、「ここまで読んだみなさんはアフィリエイトを理解し、否定的でないだろう」ことがいちばんの証明ですね。
アフィリエイトはモデルを理解すれば、
な〜んだ、ただの広告業じゃん
で済む話なのですが、理解が浅いと
消費者である私が損をしているのでは!?
という誤解を招きます。
「なんか私が損してそう」というイメージは、強烈に消費者の心を錯乱させます。
実際、アフィリエイト黎明期には、「アフィリエイトで紹介される商品は値段が高く設定されている」なんて噂が、まことしやかに囁かれていました。
しかし、これはまったくの嘘で、ほとんどの場合、消費者はアフィリエイト経由で充電器を買っても、アフィリエイトを経由せずに充電器を買っても、値段は1円も変わりませんでした。そこで値段を変えたらビジネスモデルが成立しない(人は同じ製品がある時に安い方を選択するから)ことがわかっていればこのような誤解は招かないはずなのですが、人は直感で行動する生き物であるため、このような根も歯もない噂が広まってしまったと言えます。(このへんの話は「伝統経済学」と「行動経済学」の違いが如実に現れており面白いところです。去年勉強してタメになったので、興味のある方はぜひ勉強してみてください!)
……話を戻しますが、黎明期は、ビジネスモデルへの理解の浅さ、そして、根も歯もない誤解によって、アフィリエイトはボロカスに叩かれていました。
ここまでは、消費者の知識不足と教養の浅さに責任があり、アフィリエイト側に責任は一才ありませんでした。
しかし、
2、人間感情的にグレーであったこと
までを踏まえると、叩く消費者側にも理があったと言えるかもしれません。
つまり、
「純粋に好きで見ていた○○さんが、突然私にモノを買わせようとしてきて悲しい」
という消費者の「超・人間的な感情」です。
なんと、ここに一切の論理はありません。(「Aさんが私にモノを買わせるならば、私はAさんが嫌いだ」という命題は偽であるため。反例は駄菓子屋のおばちゃん)
ここには、とてもとても複雑な人間感情が織り込まれています。「人が稼ぐのが不快」「自分が知らないものは不快」「損した気分になった時点で実際に損してなくても不快」……消費者を肯定する要因は、行動経済学上、いくらでもピックアップすることができます。
革命の起こる場所
しかし、冷静に考えてみてください。
アフィリエイトは、今までもあった広告業のひとつに過ぎません。
重ね重ね言いますが、何も悪いことはしていないのです。
それどころか、押し売りしてこない分、過去の広告業よりもだいぶマシでしょう。視聴者には嫌なら見ない自由がありますし、なんなら、好きな人がオススメする商品は自分にも刺さる可能性が高いので(趣味思考が似通っているから)「広告されて嬉しかった!これが欲しかった!」といったケースもだって多かったはずです。
アフィリエイトは、SNS時代の風を見事に読んだ、広告業の革命的な新モデルです。
今までは大衆向けの大手広告を見る選択肢しかなかったところに、こんなモデルが登場したのです。
・自分向けに洗練された広告を
・好きな人から直々に紹介してもらえて
・しかも広告自体も好きな人が作るから面白い
こんなに素晴らしい広告はありません。私と同世代の人は、みんなオモコロ読んでたでしょ?
アフィリエイトのしくみを作った人間は、相当頭の切れる人間だったに違いありません。
しかし、きっと感情的な周囲の人間からは悪魔と呼ばれていたでしょう。
名も知らぬ彼は世界に革命を起こしましたが、受け入れてもらえるまでには何十年もの時間がかかりました。
従来の広告よりも合理的で不快感も少なくなるはずだったこのモデルは、人間特有の感情によって最初は悪者扱いされました。
しかし、正しい認知が広まるにつれ、アフィリエイトを悪者扱いする人間は徐々に減っていきました。今では法も整備され、すっかり受け入れられています。
最初は叩かれ、徐々に市民権を得てきたもの。
これって、
…ボカロと似ていませんか?
……サブスクと似ていませんか?
………YouTuberと似ていませんか?
世界を変えるのは、そういうものだって話です。