4月のピークが去り、新しい仕事が始まる

こんにちは!ゼロカラカンパニーの月岡です。
ゼロカラシティにご参加いただきありがとうございます。

このコラムは、ゼロカラシティのメンバー限定コンテンツです。内容はメンバー以外に漏らすことのないようお願いします。

 

さて、今回のテーマは『4月のピークが去り、新しい仕事が始まる』です。

 

M3の準備がおわった

CD

 

 

ステッカー

 

 

ポストカード

 

 

名刺(M3には名刺文化がある)

 

 

通行証(忘れたらおわり)

 

…ということで、

M3の準備はおおかた終了しました〜!

 

あとは

  • CDを現地に宅急便で送る
  • Tシャツが届くのを待つ
  • 机上装飾品を買う

で正真正銘全部おわりです。たぶん。漏れがなければ。不安ですよねこういうの。

 

メイングッズのCDに関しては、シティのみんなのおかげで素晴らしいクオリティになった。外装はもちろんのこと、音楽が本当に素晴らしい。

私は今回、音楽には注文を一切しなかった。みんなの音楽を信頼しているからだ。ゼロカラシティの底力を見せつけるような楽曲が10曲と、私の書き下ろしが1曲。テーマ性が強く世界観重視の、M3にぴったりの作品になったと自信を持って言える。

 

CDは100枚作った。何枚売れるかはまったく読めない。私は「いいものを作れば売れなくてもいい」とは思っていないので、売れなかったらとても悲しむと思う。だから売れてほしい。いや、完売してほしい。

あっという間になくなることはきっとない。ゆっくりゆっくり売れるんじゃないかな。願わくば、10:30~15:30の5時間をたっぷり使って売れてほしい。なぜなら、ブースに立ってくれるシティメンバーに「売る喜び」を味わってほしいからだ。

 

自作のCDを売るのは楽しい。売れるのはもっと楽しい。そして、手売りは一番楽しい。学生の頃ライブハウスで当たり前に味わっていたあの感覚と、M3で久しぶりに再開できるのが楽しみだ。

 

…とか言っておいて、7枚しか売れない可能性もある。全っっ然ある。だって未知数だから。

そうなったらオフ会でみんなで爆笑しましょうね。

 

ゼロカラコンピの準備がおわった

メインイベント「前夜祭」は今回もスタジオから配信する。

 

→ゲネプロの様子。当日もほぼこの画です。

 

先日ゲネプロが終わったので、あとは当日を待つのみだ。今回は春らしく桜をバックにお送りします。仙台もいよいよ暖かくなってきました。

 

前々回、そして前回まで引き継いでしまった反省点として「トークの音質が悪い」というものがある。

このスタジオでの前夜祭は今回が3回目になるのだが、初回はコンデンサーマイクを部屋の端っこに立ててアンビエントマイクとして声を収録し、不評だった。そこで、やっぱり配信といえばピンマイクだよねということで、続く第2回は胸元のマイクで収録したのだが、これも不評だった。

やはりゼロカラコンピに参加するような人たちは耳が良い。実際、私も配信のアーカイブを見て「音悪いなー、流し聞きできないなー。」と思ってしまったこともあり、今回から満を辞してコンデンサーマイクを立てることにした。

そもそもなぜ最初からコンデンサーマイクを立てなかったのかというと、初回は月岡ひとりの立ちっぱなし独演会だったため、マイクを立てると見栄えが良くなかったから(ひとり漫才みたいになる)。2回目は弾き語りがあり「移動」の要素があったので、常に演者と一緒に動けるピンマイクを採用した、という背景がある。

今回は弾き語りをやらないので、ずっと座りっぱなしになるため、コンデンサーマイクを据え置きにすることにしたのだ。スタンドやマイク自体も黒いものを使い、背景にうまく溶け込むように工夫している。また、まっすぐ口に当てると顔と被ってしまうため、下から音を拾う形でセッティングしている。画面における占有面積の大きいポップガードも外している。細かい配慮だがこういうのが大切なのだ。

ということで、音質が今回から向上します。きっと前夜祭を最初から最後まで釘付けになって見ている人って少ないだろうから(2時間半の配信になる予定です)、画面を見なくてもラジオ感覚で聞けるようにチューニングを合わせていきます。音質はちょうどカラクリラジオと同じくらい。BGM小さめで、声がはっきり聞き取れるバランスになったはずです!

 

そんで、映像がめちゃくちゃ綺麗だ。上の写真はスクショだからアレだけど、ゲネプロ配信後のアーカイブ(私以外は見れません)はすごくいい画で自分でもびっくりした。

去年奮発していいカメラを買った甲斐があった。YouTubeに本腰入れようと決意してくれた当時の自分、ありがとう。おかげでYouTubeで発信するすべてのコンテンツのクオリティが底上げされているよ。

人生懸けてやってるメインプロジェクト「ゼロカラコンピ」のメインコンテンツ「前夜祭」だから、絶対に手は抜けない。これをiPhoneのカメラで配信していた未来のことを考えると……うわ、それってすごく恐ろしい。やっぱり仕事道具は早くいいものを揃えたほうがいいんだな。

 

そう考えると、今欲しいと思っているアレも早く買ったほうが、いや、契約したほうがいいのか…?

学校がはじまった

それから今週は、講師を務める専門学校の新学期が始まった。あまり言ったことがないが、私は専門学校で授業をしていることがある。

元々が教育畑の人間なのでこの仕事はとても好きだし、何より、向いていると思う。私は「人に何かを教えること」が好きだ。YouTubeの原動力のひとつがそれだし、その「感じ」は画面越しでも伝わっているんじゃないかなと思う。

 

気づけば、新1年生より10個も年上になってしまった。学生時代はいつのまにか「この前」のカテゴリから「けっこう前」のカテゴリに移動している。もうすぐ「昔」になるのだろう。

 

新1年生は18歳らしい期待と、不安と、自己愛と、葛藤と、無謀さを持ち合わせて教室に集まっている。初回授業のあと、一人の学生から

「YouTubeで何かしたいんですけど、何から始めたらいいですか?特にやりたいことがあるわけじゃないんですけど、どうすればチャンネル登録者って伸ばせますか?」

と質問を受けて、あぁ、この感じ…と久々にゾクッときた。

 

「何者かになりたさ」と「自分への過度な期待」と「解像度の低い憧れ」のアンマッチなブレンド、これこそが若さだ。私も10年前は彼と同じだったような気がする。いや、バンドマンになりたい!という明確な目標があった分、彼よりはマシだったかもしれない。

同年代や、まして年上がこんなことを聞いてきたら「バカじゃないの?」と一蹴して終わりだが、18歳なら許される。むしろ大歓迎だ。彼の地獄はここから始まるのだ。自分探しなんて生緩い言葉ではとても形容できない、楽しい楽しい修羅の道が。

 

ラジオでも話したような気がするが、私は、世の中の人間関係のトラブルはすべて「自分が愛されていると思いすぎ」なことが原因だと確信している。

好きな人にフラれた、仲間に裏切られた、上司に酷いことを言われた…これらはすべて「自分が愛されている」と思い込んでいるから起こる事故で、「なぜあの人は自分にあんなことを言ったんだろう」の答えは大抵、「あなたのことなんてどうでもいいから」だ。どうでもいいから、配慮のない言葉を吐けるのだ。仮にあなたのことを愛していたのなら、あなたを故意に傷つけることなどないのだから。

あなたは愛されていなかった、あるいは、思ったほど愛されていなかった、ただそれだけのことで、人間関係のトラブルは100%説明がつく。私はずーーーーっとそう確信しているし、今もこの考えは揺るぎない。私の本質の一部といって差し支えない思想だ。

 

さて、いつからこの考えになったのかといえば、多分大学生の頃だったと思う。

大学1年生の頃、私は自分が世界から愛されていると思っていた。自分は周りから興味津々な眼差しで見られていると思っていたし、その前提で生きていた。だからいつでもどこでもカッコつけていたし、身の丈に合わない発言や行動など、要は「愛されている」前提の生き方をしていた。

大学を出る頃には、その考えは180度変わっていた。平たい言い方をすれば「酸いも甘いも経験したから」だと思う。何かひとつの出来事がきっかけになったのではなく、親元を離れて何年もかけて、じっくりと地層が堆積するように、あぁ、世界ってこんな感じかぁと納得していった。

数々の経験のおかげで、私は「勘違い野郎」を卒業できたが、失ったものも山ほどあった。ソロアルバム「YOUNG」に収録されている「オトナコノハ」はそんな頃に書いた歌で、今聴くと泣きそうになる。感受性とはこうも変わるものなのかと、時間はこうも人を変えるものなのかと驚かされる。

私はこれを「精神的に死ぬ」と表現している。人の肉体が死ぬのは一度きりだが、精神は人生の中で何度だって死ぬのだ。そして精神の死は、決してネガティブなだけのものではない。

 

新1年生は、きっとこれから死ぬほどいろんな体験をして、そして、何度か死ぬだろう。

 

私は、学生時代に何度か死ねてよかったと思う。

だから、と言ってしまうと自分の経験を強要しているようで美しくないが、しかしながら、私の仕事は私の経験をもとに若い芽を育てることだ。思想が1mmも入らない高等教育など価値がない。彼らを何人か殺せるような授業に、今年度も果敢に挑戦していこう。

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