他人

こんにちは!ゼロカラカンパニーの月岡です。
ゼロカラシティにご参加いただきありがとうございます。

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もうすぐ21時に、弾き語りの動画がアップされる。

8月は、毎週水曜日を弾き語りデーにしようと思う。emergenceが終わってからミュージシャンらしい活動を表立ってしていなかったので(実際は裏で曲書いたりライブの準備したりしてるけど)、学生が夏休みに入る8月は何かしようと考えていた。単発ではなく、毎週出せるコンテンツがいい。サクッと見てもらえる内容がいい。それで弾き語りを選んだ。

とはいえ、ただスマホで弾き語りを一発録りするだけでは、DTMerの視聴者は興味が湧かないだろうと思ったので、「レコーディング」色を出すことを意識した。ギターと歌は別録りにして、それぞれApolloで最高のコンディションで録音する。アコギはマイクとラインの2本録りにして、2チャンネルで増幅とコンプレッションをして、Cubaseで歌としっかりミックスしてマスタリングまで仕上げている。宅録クオリティにはしたくなくて、スタジオ感とライブ感が両方欲しかったので、これだ!というサウンドが見つかるまで試行錯誤した。半日かかったが納得のいく音が録れた。

そして、使った機材は動画の最後に公表することにした。最後まで見てくれたDTMerへのお礼のつもりで。ルーティングも書いたので、やろうと思えばまったく同じセッティングを再現できるはずだ。もちろん私の声、事務所の部屋鳴り、曲の雰囲気に合わせてチューニングしているので、そのまま真似しても思う結果にはならないと思うけど、近い音は出せると思う。私は他人の使っている機材を見るのがかなり好きだ。毎月サンレコも読み漁っている。少ないかもしれないが同志のためにそういったコンセプトにした。

 

ゼロカラカンパニーと個人チャンネルを分けて、音楽は個人チャンネルで発信したらどうですか?と言われることがあるが、今のところその予定はない。そもそもゼロカラカンパニーは私ひとりを指す言葉(屋号)なので、あれは実質、月岡彦穂の個人チャンネルのようなものだ。

ミュージシャンの月岡彦穂が音楽を発表し、ノウハウを発表し、イベントを行い、便利なプラグインを紹介する。すべてが月岡彦穂の発信であって、「これはミュージシャンとしての発信」「これは講師としての発信」などと分けてはいないし、分けるつもりもないし、分けるメリットもない(分けるデメリットがメリットを凌駕する)。

今夜出る弾き語りは月岡彦穂(=ゼロカラカンパニー)の発信で、今週末に出るプラグイン紹介は月岡彦穂(=ゼロカラカンパニー)の発信で、24日の前夜祭はゼロカラカンパニー(=月岡彦穂)の発信だ。主軸がどちらにあるかというだけで本質的には同じなので、私は全てをひっくるめて今後もあのチャンネルで発信を続けていくだろう。

 

唯一意識して棲み分けているのはオトナリダンギだ。オトナリダンギは月岡彦穂と長利和季の2人でひとつのコンテンツなので、私の意思だけで動かすことはできないし、長利くんの意思だけで動かすこともできない。2人の合意で運営され、どちらかがやりたくないことはやらないルールになっている。動画の雰囲気や方向性も2人で考え(月岡の意見が反映されることが多いが、それは長利くんの「YouTubeの数字のことは彦穂さんに任せますよ」という意見でもある)、運命共同体として動かしている。だからオトナリダンギはチャンネルを分けている。一時期、ゼロカラカンパニーで「格付けチェック」と称して長利くんを招待したこともあったが、あれは今後はやらないと思う。月岡彦穂と長利和季が揃ったら、それはもうオトナリダンギだからだ。

だからこそ、ゼロカラコンピ前夜祭の体勢にはいまだに少し葛藤がある。長利くん以外の司会者を出した方がいいんじゃないか、長利くんのスタジオを使わない方がいいんじゃないか、わかりやすくいえば、前夜祭は長利くんと完全に切り離した方がいいんじゃないかと思っているけど、幸か不幸か、参加者の方が長利くんにだいぶ慣れてくれたので、いきなり長利くんなしで行うとびっくりするだろうし、理由を説明するのも↑くらいの文章量がいるので現実的ではない。悩ましいが、ひとまずはこのまま続けるつもりだ。人は矛盾をはらんで歩き続けるものなので……。

 

「月岡彦穂 / ゼロカラカンパニー」チャンネルは、DTMのお役立ち情報や自身の音楽活動を中心に、「オトナリダンギ」チャンネルは、よりパーソナルな部分を出していきたいと思っている。前者はよりストイックに、後者はよりルーズにしていきたい。逆に言えば、「月岡彦穂 / ゼロカラカンパニー」ではあまりパーソナルな部分は出さないだろうし、「オトナリダンギ」ではDTMのタメになる話はしないだろう。

定期的に書いている気がするけれど、ネットのコンテンツは「いま、気に入った人だけが見ればいい」ものなので、月岡の動画が気に入らないと思ったら全然見ないでくれて構わないし、逆に、最近ちょっといい感じかもと思ったらまた見てほしい。私はあなたに寄せるつもりはないので、あなたも私に寄せて来なくていい。”あなたの好みと違う私”も、”あなたの好み通りの私”も、どちらも”私がなろうとした私”であって、あなたがそうしたわけではない。私は私の意思と、YouTubeの大きな流れと、アルゴリズムと、あらゆる数字に対する肌感覚で動画を作っている。

最近のネットを見ていると、発信者とファンの境界線が曖昧になっているようで嫌だ。ファンの一言に影響を受けてしまう発信者、発信者の一言を過敏に受け取るファン、どちらも自らの行動や思考が他人軸になっている点で同質だ。私がネットに望む姿勢は「自立」なので、極論、誰が何を言おうと誰も影響を受けたり行動したりしないでほしいと思う。「あの人はAと言っているけど私はBと思う。でもあの人がAと思う思考自体を変えようとは思わない。」という態度で、少なくとも私はありたい。身近な友人や家族には自分の意見を表明することも大切だが、ネットでそんなことをする必要はない。あまりにも”他人”だからだ。最近のネットには、他人を”他人”と思っていない他人が多すぎて、他人事ながら疲れてしまう。でもそんな人たちに変わってほしいと思いつつ、私が行動することはない。彼らは”他人”だし、”他人”の私にとやかく言われる筋合いはないからだ。

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